立花貫長
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享4年(1687年) |
死没 | 延享4年5月19日(1747年6月26日) |
改名 | 孫千代丸(幼名)、貫長 |
別名 | 長当、種瓶 |
戒名 | 霊通院殿仁翁紹寛大居士 |
墓所 | 東京都台東区下谷の広徳寺 |
官位 | 従五位下出雲守、民部 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗→家重 |
藩 | 筑後三池藩主 |
氏族 | 立花氏 |
父母 | 父:立花種明、母:京極高国の娘・晴雲院 |
兄弟 | 貫長、種盈 |
妻 | 正室:島津惟久の娘・養信院 |
子 | 長煕、黒田直巷、直尹、応興、能勢頼紀婚約者、青山幸充継室、加納久堅正室、立花種秀養女、屋山継平室ら |
立花 貫長(たちばな やすなが)は、筑後国三池藩の第4代藩主。一説に諱の読みは「つらなが」とも言われる。
略歴
[編集]貞享4年(1687年)、第3代藩主・立花種明の長男として生まれる。元禄12年(1699年)の父の死去で家督を継ぎ、宝永6年(1709年)3月7日に従五位下、出雲守に叙任する。享保9年(1724年)9月1日、駿府加番に任じられる。元文3年(1738年)からは石炭の採掘が始まり、平成9年(1997年)まで存続した三池炭鉱の礎となった。
延享4年(1747年)5月19日に死去した。享年61。跡を長男の長煕が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 養信院 ー 島津惟久の娘
子女
- 立花長煕(長男)生母は養信院(正室)
- 黒田直巷(次男)
- (三男)
- 立花直尹(四男)
- 立花応興(五男)
- (六男)
- 能勢頼紀婚約者
- 青山幸充継室
- 加納久堅正室
- 平岡良寛室 ー 立花種秀の養女
- 屋山継平室
- 娘