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立花貫長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
立花貫長
時代 江戸時代中期
生誕 貞享4年(1687年
死没 延享4年5月19日1747年6月26日
改名 孫千代丸(幼名)、貫長
別名 長当、種瓶
戒名 霊通院殿仁翁紹寛大居士
墓所 東京都台東区下谷の広徳寺
官位 従五位下出雲守、民部
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗家重
筑後三池藩
氏族 立花氏
父母 立花種明京極高国の娘・晴雲院
兄弟 貫長種盈
正室島津惟久の娘・養信院
長煕黒田直巷直尹応興能勢頼紀婚約者、青山幸充継室、加納久堅正室、立花種秀養女、屋山継平室ら
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立花 貫長(たちばな やすなが)は、筑後国三池藩の第4代藩主。一説にの読みは「つらなが」とも言われる。

略歴

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貞享4年(1687年)、第3代藩主・立花種明の長男として生まれる。元禄12年(1699年)の父の死去で家督を継ぎ、宝永6年(1709年)3月7日に従五位下、出雲守に叙任する。享保9年(1724年)9月1日、駿府加番に任じられる。元文3年(1738年)からは石炭の採掘が始まり、平成9年(1997年)まで存続した三池炭鉱の礎となった。

延享4年(1747年)5月19日に死去した。享年61。跡を長男の長煕が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女