竹岡信幸
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竹岡 信幸(たけおか のぶゆき、1907年(明治40年)7月31日 - 1985年(昭和60年)9月9日[1])は、昭和期の日本の作曲家。
経歴
[編集]古賀政男の後輩にあたり、明治大学マンドリン倶楽部を経て作曲家になった。1934年(昭和9年)、「赤城の子守唄」の大ヒットで一躍人気作家となった。コロムビアレコードを中心に活躍し、数々の曲を作曲した。
夫人は1932年のロサンゼルス五輪水泳代表選手で、のちに宝塚歌劇団(23期生、芸名「水尾みさを」)を経て映画界入りした女優の横田みさを[2]。
代表曲
[編集]- 『海のセレナーデ』(昭和8年3月)[時雨音羽作詞、歌:春山一夫]
- 『青春無情』(昭和8年9月)[西條八十作詞、歌:東海林太郎]
- 『夢の龍胆』(昭和8年11月)[久米正雄作詞、歌:東海林太郎]
- 『赤城の子守唄』(昭和9年2月)[佐藤惣之助作詞、歌:東海林太郎](第7回NHK紅白歌合戦にて歌唱)
- 『城ヶ島夜曲』(昭和9年6月)[浜野耕一作詞、歌:東海林太郎]
- 『下田夜曲』(昭和11年3月)[高橋掬太郎作詞、歌:音丸]
- 『人妻椿』(昭和11年11月)[高橋掬太郎作詞、歌:松平晃]
- 『赤城しぐれ』(昭和12年1月)[久保田宵二作詞、歌:霧島昇]
- 『潮来月夜』(昭和12年7月)[久保田宵二作詞、歌:音丸]
- 『悲しき子守唄』(昭和13年11月)[西條八十作詞、歌:ミス・コロムビア]
- 『支那の夜』(昭和13年12月)[西條八十作詞、歌:渡辺はま子]
- 『朝月夕月』(昭和14年5月)[西條八十作詞、歌:ミス・コロムビア]
- 『長崎のお蝶さん』(昭和14年9月)[藤浦洸作詞、歌:渡辺はま子]
- 『白蘭の歌』(昭和14年12月)[久米正雄作詞、歌:伊藤久男、二葉あき子]
- 『かくて神風は吹く』(昭和20年2月)[高橋掬太郎作詞、歌:高倉敏、近江俊郎]
- 『東京の夜』(昭和22年5月)[西條八十作詞、歌:藤山一郎、渡辺はま子]
- 『東京の人よさようなら』(昭和31年5月)[石本美由起作詞、歌:島倉千代子]
- 『月夜がらす』(昭和31年8月)[野村俊夫作詞、歌:山形英夫]
- 『日立製作所 大みか工場歌』(昭和49年)[西沢爽作詞(原案:工場内公募)、歌:三鷹淳]
- 『日立クレジット社歌』(昭和57年)[石本美由起作詞(原案:社内公募)、歌:三鷹淳]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 本井康弘「同志社初の女性オリンピアン ―横田みさを(1932年LA大会)―」『同志社時報』第147号、学校法人同志社、2019年、2021年3月18日閲覧。