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笠置 (空母)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
笠置
佐世保エビス湾にて(1945年11月)
佐世保エビス湾にて(1945年11月)
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所[1][注釈 1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 航空母艦[2][3]
級名 雲龍型[2]
建造費 予算 93,442,000円[4]
母港 横須賀(仮定)[5]
艦歴
計画 昭和18年[6](改⑤計画[7])
起工 1943年4月14日[8]
進水 1944年10月19日[8]
その後 建造中止[9]戦後解体[10]
要目(計画)
基準排水量 1943年9月時 17,460英トン[11]
1944年10月時 18,300英トン[12]
公試排水量 1943年9月時 20,400トン[11]
1944年10月時 21,200トン[12]
または 20,450トン[10]
全長 227.35m[13]
水線長 223.0m[11][12]
垂線間長 206.52m[13]
水線幅 22.0m[11][12]
深さ 20.5m(飛行甲板上面まで)[11][13]
または 20.40m[12]
飛行甲板 216.90m x 27.00m[13]
エレベーター2基[14]
吃水 1943年9月時 7.82m[11]
1944年10月時 7.83m[12]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付)8基[8]
主機 艦本式タービン(高中低圧)4基[8]
推進 4軸[11] x 340rpm、直径3.800m[15]
出力 152,000馬力[11][12]
速力 34.0ノット[11][12]
燃料 重油 3,750トン[11]
航続距離 1943年9月時 8,000カイリ / 18ノット[11]
1944年10月時 10,000カイリ / 18ノット[12]
搭載能力 魚雷36本[11]
兵装 40口径12.7cm連装高角砲6基[11]
25mm3連装機銃13基(1943年9月時)[11]
または25mm3連装機銃22基、同単装30挺(1944年10月時)[12]
噴進砲4基(1944年10月時)[12]
九五式爆雷6個(1943年9月時)[11]
または爆雷30個(1944年10月時)[12]
装甲 計画[11]
弾薬庫舷側:140-50mmNVNC鋼
同甲板:56mmCNC1鋼(1943年9月時)
または50mm(1944年10月時)[12]
機関室(軽質油タンク)舷側:46mmCNC1鋼
同甲板:25mmCNC2鋼
搭載機 1943年9月時[11]
零式艦上戦闘機 12機
九九式艦上爆撃機 27機
九七式艦上攻撃機 18機
計 57機
1944年10月時[12]
戦闘機18機
爆撃機18機
攻撃機18機
偵察機3機
計 57機
レーダー 21号電探1基、13号電探2基(1944年10月時)[12]
ソナー 三式探信儀1組、零式水中聴音機1組(1944年10月時)[12]
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笠置(かさぎ)[16]は、日本海軍の未成航空母艦[17]雲龍型航空母艦の4番艦[3]。第5004号艦[8]

特徴

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艦名は京都府木津川に望む笠置山地の山の一つである笠置山に由来する[18]。 この艦名は、明治時代の笠置型防護巡洋艦1番艦「笠置[19][20]に次いで2番目。他の候補名として乗鞍があった[21]

工事簡易化のため煙突の形状は変形六角形になる予定だったが、実際は従来と同様の楕円形状になっている[22]。飛行甲板は前端の左右が斜めに切り落とされていた[23]。機関建造が予定通りに進まず、改鈴谷型重巡洋艦(伊吹「第301号艦」)用の機関を流用し搭載している[24]

25mm3連装用の機銃座は葛城と同数の22基分が用意されている。形状は当初計画のものは角が丸く、増備のものは多角形と混載になっていた[25]。また防煙盾付の3連装機銃は葛城では煙突直後の2基のみだったが、笠置では4基分の盾が既に用意されていた[26]。艦首の射撃指揮装置覆塔は艦首ぎりぎりに設置されていた[23]。戦後撮影の写真では噴進砲用スポンソンも確認できる[27]

歴史

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1942年(昭和17年)度策定の改⑤計画により[7]1943年(昭和18年)4月14日三菱重工業長崎造船所で起工[8]。長崎造船所が建造する雲龍型としては、同型2番艦「天城」に続いて2隻目となる[28]。 翌1944年(昭和19年)9月5日附で笠置と命名[16]、雲龍型の4番艦とし[2][3]、本籍は横須賀鎮守府と仮定された[5][注釈 2]。 同年10月19日進水[8][17]12月8日、長崎海軍監督官事務所に笠置艤装員事務所を設置する[29]。前月下旬に撃沈された大和型戦艦改造空母「信濃」乗組員のうち、笠置艤装員を命じられた者も多かったという[30]

当初、本艦の完成予定は1945年(昭和20年)6月だった[31][17]。1945年(昭和20年)1月20日、日本海軍は大石保大佐(海軍省兵器局第一課長)を笠置艤装員長に任命する[32]。同年2月の完成を目指していたとも言うが、前年12月から同年2月まで間で工員約200名が不足していた[1]。 3月5日、笠置艤装員長は大石大佐から、空母鳳翔艦長室田勇次郎大佐に交代する[注釈 3][33][34]。 4月1日、室田(笠置艤装員長)は天草海軍航空隊司令へ転任[35]。栗飯原孝中佐(笠置艤装員)も長門型戦艦1番艦「長門」機関長を命じられ、「笠置」を離れた[36]。 「笠置」の工事中止命令は従来4月1日に出されたとされる[17]。これは4月1日付の改訂線表から消されたために4月1日が中止日とされていた[1]。実際の中止の記録が残っておらず、本当の中止日は今のところわからない[1]。建造中止により4月5日に佐世保鎮守府保管とされ、自力航行不能のため4月15日に佐世保へ曳航[1][37]。進捗率84%の状態で佐世保港エビス湾で終戦を迎えた[9][28]。終戦時、操船指揮用の仮設台が飛行甲板上に設置されていた[9]

戦後、佐世保船舶工業(旧佐世保海軍工廠)によって1946年(昭和21年)9月1日に解体が開始され、翌1947年(昭和22年)12月31日に完了[10]、解体により10,280トンの鋼材が得られた[38]

艤装員長

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同型艦

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雲龍 - 天城 [III] - 5002 - 葛城 [II] - 笠置 [II] - 5005 - 阿蘇 [II] - 生駒 [II] - 鞍馬 [II] - 5009 - 5010 - 5011 - 5012 - 5013 - 5014 - 5015

脚注

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注釈

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  1. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.232など、従来は佐世保回航後に佐世保海軍工廠で艤装が行われたとされたが、川崎まなぶ(#日本海軍の航空母艦p.53)によると工事中止後に佐世保へ回航。
  2. ^ #S20-03-26内令提要艦船(1)画像25など、その後の内令提要に収録の「艦艇、特務艦本籍別一覧表」には記載がなく、実際の本籍は定められていないと思われる。
  3. ^ 室戸は、吹雪型駆逐艦5番艦「叢雲」初代航海長、空母「瑞鶴」副長等を歴任

出典

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  1. ^ a b c d e #日本海軍の航空母艦p.53
  2. ^ a b c #昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)p.41、内令第一〇三六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年九月五日 海軍大臣 軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「葛城」ノ下ニ「、笠置、阿蘇、生駒」ヲ加フ
  3. ^ a b c #艦艇類別等級表(昭和19年11月30日)p.3『航空母艦| |雲龍型|雲龍、天城、葛城、笠置、阿蘇、生駒|』
  4. ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2p.37
  5. ^ a b #昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)pp.44-45『内令第一〇四六號|軍艦 笠置 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト假定ス|軍艦 阿蘇 右本籍ヲ呉鎮守府ト假定ス|軍艦 生駒 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト假定ス|昭和十九年九月五日 海軍大臣』
  6. ^ #日本航空母艦史p.92
  7. ^ a b #戦史叢書88海軍軍戦備2pp.32-43
  8. ^ a b c d e f g #昭和造船史1pp.780-781
  9. ^ a b c #写真日本の軍艦第3巻p246
  10. ^ a b c 運輸省海運総局掃海管船部管船課「日本海軍終戦時残存(内地)艦艇処分状況(1948年3月20日現在)」p.20、#終戦と帝国艦艇(復刻版)巻末資料2。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q #海軍造船技術概要p.1599、「新造艦船主要要目一覧表 昭和18年9月1日 艦本総二課」
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #海軍造船技術概要p.1601、建造中水上艦艇特徴一覧表
  13. ^ a b c d 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.3、第302号艦型の計画値。「註.本表ハ(以下記載計画ノ項モ同様)昭和十六年十月二十日艦本機密第一二号ノ一〇〇(数文字不明)ヲ大臣ニ報告セル当時ノモノヲ示ス」。ページ数の記載が無いので、ページ数は戦後に複写された版からとる(以下の出典の「一般計画要領書」でも同様)。
  14. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.45
  15. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.34
  16. ^ a b #昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)p.33、達第二九三號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ軍艦三隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年九月五日 海軍大臣|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 軍艦 笠置(カサギ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 軍艦 阿蘇(アソ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 軍艦 生駒(イコマ)』
  17. ^ a b c d #海軍軍備(4)p.18『新艦|笠置(三〇二型)|二〇.六.末|(未完三四%)|一九.一〇.一九進水 二〇.四.一工事中止指令』
  18. ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.84-85
  19. ^ 恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/軍艦(2)pp.1-2」 アジア歴史資料センター Ref.C14010005600 『笠置』
  20. ^ #笠置引揚作業許可願の件p.3『坐洲後ノ笠置艦略歴』
  21. ^ 参考文献「片桐大自(1993)、78頁」(項目名:天城)によれば、遠藤昭氏の「世界の艦船」No.129 掲載記事にもとづく候補艦名。
  22. ^ #衣島2012p.56、左中の写真及び解説。
  23. ^ a b #衣島2012p.56、左上の写真及び解説。
  24. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.232
  25. ^ #衣島2012p.57、中央と下の写真及び解説。
  26. ^ #衣島2012p.56、左下の写真及び解説。
  27. ^ #衣島2012p.57、上の写真及び解説。
  28. ^ a b #日本空母物語277-278頁『(5)笠置』
  29. ^ 昭和19年12月29日(金)海軍公報第4891号 p.51」 アジア歴史資料センター Ref.C12070498300 『○事務開始|(事務所名)笠置艤装員事務所|(設置場所)長崎市飽ノ浦町長崎海軍監督官事務所内|(事務開始月日)一二月八日』
  30. ^ #豊田、信濃生涯325-326頁
  31. ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2p.19
  32. ^ a b 昭和20年1月24日(発令1月20日付)海軍辞令公報(甲)第1702号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103100 
  33. ^ a b c 昭和20年3月15日(発令3月5日付)海軍辞令公報(甲)第1746号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103800 
  34. ^ 昭和4年5月11日(土)官報第548号。国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957173 p.3
  35. ^ a b 昭和20年4月7日(発令4月1日付)海軍辞令公報(甲)第1766号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072104200 
  36. ^ 昭和20年4月10日(発令4月1日付)海軍辞令公報(甲)第1768号 p.37」 アジア歴史資料センター Ref.C13072104200 
  37. ^ #日本空母物語277頁では、佐世保に回航され艤装着手後、建造中止としている。
  38. ^ #写真日本の軍艦第3巻p.249

参考文献

[編集]
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備竝びに戦備の全貌. 其の三(開戦直前の応急軍備、戦備と(5)及び(6)計画の概要) info:ndljp/pid/8815683』1951年2月。 
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備竝びに戦備の全貌. 其の四(開戦から改(5)計画発足まで) info:ndljp/pid/8815691』1951年6月。 
    • 第二復員局残務處理部『海軍の軍備並びに戦備の全貌. 其の六(敗退に伴う戦備並びに特攻戦備) info:ndljp/pid/8815696』1952年3月。 
  • アジア歴史資料センター(公式) (防衛省防衛研究所)
    • 『建造中水上艦艇主要々目及特徴一覧表』。Ref.A03032074600。 
    • 『昭和19年8月〜9月 秘海軍公報/9月(1)』。Ref.C12070496600。 
    • 『昭和19年11月30日現在10版内令提要追録第21号原稿/巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072039800。 
    • 『昭和20年3月26日現在 10版 内令提要 巻3/第13類 艦船(1)』。Ref.C13072056500。 
    • 『公文備考 昭和11年H物品(除兵器)卷3/第21号11.1.7笠置引揚作業許可願の件』。Ref.C05035072900。 
  • 大内健二『幻の航空母艦 主力母艦の陰に隠れた異色の艦艇』光人社NF文庫、2006年12月。ISBN 4-7698-2514-5 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 川崎まなぶ『日本海軍の航空母艦 その生い立ちと戦歴』大日本絵画、2009年12月。ISBN 978-4-499-23003-2 
  • 衣島尚一「-悲運の正規空母- 日本海軍航空母艦「雲龍型」」『艦船模型スペシャル』No.46モデルアート社、モデルアート社、2012年12月、46-59頁。 
  • 『日本航空母艦史』 世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月。 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 豊田穣『空母信濃の生涯 巨大空母悲劇の終焉』光人社NF文庫、2000年。ISBN 4-7698-2275-8 
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』光人社、2011年1月(原著1961年)。ISBN 978-4-7698-1488-7 
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<2> 開戦以後』 戦史叢書第88巻、朝雲新聞社、1975年。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第3巻 空母I』光人社、1989年9月。ISBN 4-7698-0453-9 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」

関連項目

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