笠郷村
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かさごうむら 笠郷村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
合併 養老村、高田町、広幡村、上多度村、池辺村(一部)、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村(一部) → 養老町 |
現在の自治体 | 養老郡養老町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 養老郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 7.63 km2. |
総人口 |
4,361人 (1954年) |
隣接自治体 | 岐阜県大垣市、養老郡高田町、池辺村、上多度村、広幡村、安八郡福束村 |
笠郷村役場 | |
所在地 | 岐阜県養老郡笠郷村船附字西井戸池北ノ切1612 |
座標 | 北緯35度16分47秒 東経136度35分57秒 / 北緯35.27975度 東経136.59914度座標: 北緯35度16分47秒 東経136度35分57秒 / 北緯35.27975度 東経136.59914度 |
ウィキプロジェクト |
笠郷村(かさごうむら)は、かつて岐阜県養老郡に存在した村である。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は美濃国多芸郡であり、今尾藩領などであった。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 郡制に基づき多芸郡の一部と上石津郡が合併し、養老郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 上ノ郷村、下笠村、船着村、栗笠村が合併し発足。
- 8月27日 - 旧船着村域は大字船着であったが、大字船附と大野に分割。
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 高田町、養老村、広幡村、上多度村、池辺村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村の一部と合併し養老町が発足。同日笠郷村廃止。
小字
[編集]- 大字上ノ郷
- 戸池、川田、大具戸、蓮池、乙ヶ池、淳、砂盛、井戸池、川原毛、台丁具戸、流、乙堀、畑屋、池田
- 大字下笠
- 和田ノ崎、除内、山ノ内、細池、東真曽根、三畝丁田、中反、三ツ屋、上市場、下市場、懐、構、川東、中島、中村、中島前、西江下、湯口、除下、五町田、東江下、中沼、諏訪ノ木、目暮
- 大字船附
- 南川並、北米野、南米野、元屋敷、五反田、中起、角田江東、六羽野、県木道西、県木道東、角田江西、茶木原、杁下江西、杁下江東、杁下新堀、十人割、大苗代、東井戸池、西井戸池南ノ切、東井戸池北ノ切、村内北ノ割、村内南ノ割、村内西ノ割、寺屋敷、東深池、西深池、宮辺、南小川、西小川、東小川、北小川道東、北小川道西、釜池、鱒池江西、鱒池江東、栗笠東、西川並杁西、西川並中道東、西川並中道北、西川並中道南、神成田道東、神成田道西、神成田道南、乙堀、上田、西沼堀東、西沼堀西、除外、名古屋地、名古屋地新堀、中沼堀東、中沼堀西、外沼、大流、面引場、七反長、富古場、中代道東、中代道西、十二石、弥蔵ハッカ、大割田、小曲輪、勘右エ門田、東沼堀東、東沼堀西、仁右エ門道西、仁右エ門道東、東川並
- 大字大野
- 畔江田、北川並、平池、出口、村内、中川並、横代、大勢町、馬道、南川並、南長島、南横代、二ツ杁、福束田、船附境、六左田、
- 大字栗笠
- 内草場、五島新田、村内、村前、仲田、井戸池
学校
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岐阜県養老郡笠郷村土地宝典 帝国市町村地図刊行会 編 昭和14年7月13日発行