第二十七号水雷艇
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艦歴 | |
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建造所 | フルカン社 |
起工 | |
進水 | |
竣工 | 1894年 |
就役 | 1895年2月7日捕獲 |
除籍 | 1908年4月1日 |
要目 | |
排水量 | 常備:74トン[1] |
全長 | 水線長:33.68m (110ft 6in) |
全幅 | 4.27m (14ft 0in) |
吃水 | 1.07m (3ft 6in) |
機関 | 汽車缶1基 直立式2気筒2段膨張レシプロ1基 1軸、443馬力[2] |
速力 | 16ノット[3] |
航続距離 | |
燃料 | 石炭:10.3トン(満載) |
乗員 | |
兵装 | 37mm保式単装軽速射砲2基(推定)[4] 36cm魚雷発射管固定式2門 |
第二十七号水雷艇(だいにじゅうななごうすいらいてい、旧字体:第二十七號水雷艇)は、日本海軍の三等水雷艇。
元はドイツ・フルカン社で建造された清国北洋水師所属の水雷艇右隊三号(ヨウヅイサンハオ)。1895年(明治28年)2月7日に僚艦の「右隊一号」(後の第二十六号水雷艇)らと共に威海衛からの脱出を図ったが擱座して捕獲された。
日本海軍では第二六号水雷艇と同じく呉水雷団に所属し、日露戦争では内海の警備に従事、1908年(明治41年)4月1日に除籍された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 中川努「日本海軍特務艦船史」『世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6