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小鷹 (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小鷹
神戸港に停泊する「小鷹」(推定1898年から1901年)[1]
神戸港に停泊する「小鷹」(推定1898年から1901年)[1]
基本情報
建造所 製造:ヤーロウ社
組立:横須賀造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 装甲一等水雷艇[2]
母港 横須賀[3]
艦歴
計画 1885年
発注 1885年4月29日契約[4]
起工 1886年9月7日[5]
進水 1887年1月21日[5]
竣工 1888年8月15日引渡[6]
または1888年10月10日[7]
除籍 1908年4月1日[8]
その後 雑役船
1916年廃船、翌年雑役船に復帰
1926年再度廃船、翌年売却
要目(竣工時[6]
排水量 165英トン
1904年調:203英トン[9]
垂線間長 50.596 m
最大幅 5.920 m
深さ 2.800 m
吃水 前部:1.100 m
後部:1.500 m
ボイラー 汽車 2基[7]
主機 直立2気筒2段膨張レシプロ 2基[7]
推進 2軸[7]
出力 計画:1,300馬力[注釈 1]
1,217馬力[7]
速力 計画:19ノット[注釈 2]
17.835ノット[7]
燃料 1904年調:石炭満載57英トン[9][注釈 3]
乗員 1887年2月定員:32名[10]
兵装 1888年[11]
3.7cm単装砲2門
3.7cm機砲2挺
36cm水上魚雷発射管4門
1894年[12]
25mm4連装機砲 2基
36cm水上魚雷発射管 2門
装甲 機関部舷側:1インチ[13](25.4mm)
その他 船材:
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小鷹(こたか)は、日本海軍水雷艇。艦名は小型の鷹類の総称を意味する[14]

概要

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イギリスヤーロー社で建造。水雷艇の航洋性の低さを補うために当時の水雷艇が排水量50トン前後だったところを約200トンとし、自力で襲撃地点まで進出できるような大きさとした。 ヤーロー社では6隻の同型艇の建造を予定していたが結局本艇1隻の建造に終わった。 水雷艇誕生間もない時期の一種の試作といえる艇である[14]

完成後には航洋性のテストを兼ねて西日本各地を回っている。 日清戦争では1895年(明治28年)2月5日に第一艇隊を率いて威海衛港内に侵入、「来遠」転覆、「威遠」、「宝筏(ほうばつ)」撃沈の戦果を上げた[14]日露戦争では老齢のため内地警備に従事している。

艦型

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「小鷹」艦型図

艦首に顕著な衝角を持つが水線長を延長し船体抵抗を減らすためと衝突時に魚雷発射管の損傷を防ぐためといわれる[15]機関部舷側には厚さ1インチ(25.4mm)の軽い装甲も施し、対水雷艇に用いられた小砲に対抗した。

機関

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ボイラーは汽車缶2基で、蒸気圧力は130ポンド/平方インチ(9.15kg/cm2)、強圧送風機械2基を装備した[16]。 主機は直立2段2気筒機械2基[16]。 推進器は鋼製グリフィス形2翼で、2軸推進だった[16]

その他に朱式魚雷用に[17] カセロフスキー式空気圧縮ポンプを装備した[16]

要目

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計画要目は長さ166 ft (50.597 m)[18]

船体寸法は『帝国海軍機関史』によると以下の通り[7]

  • 長さ50.29m
  • 幅5.791m
  • 吃水5 ft (1.524 m)

艦歴

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ヤーロー社で製造、横須賀造船所で組み立てた。 1886年(明治19年)9月7日、横須賀造船所で龍骨据付(起工)[18]1887年(明治20年)1月21日進水[19]、 3月29日小鷹コタカと命名された[注釈 4]1888年(明治21年)4月9日、横須賀鎮守府水雷術練習艦附属から長浦水雷営附属へ所轄変更[20]。 6月に船体・機関共に工事完成、8月15日に「小鷹」は横須賀造船所から水雷営に引き渡された[6]。 『帝国海軍機関史』によると10月10日に組立が完了した[7]

1889年(明治22年) 6月11日、小鷹、第1、第2、第3、第4水雷艇の5隻は横須賀水雷隊攻撃部に所属する[21]

日清戦争時、佐世保軍港に停泊する「小鷹」[22]

1895年(明治28年) 7月23日、「小鷹」は第1水雷艇隊から横須賀水雷隊攻撃部附属に所属が変更された[23]

1908年(明治41年)4月1日除籍[8]

その後

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海軍機関学校練習船

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その後は練習船となった[14]

1916年(大正5年) 3月1日、海軍機関学校所属練習船「小鷹」はその所属を解かれた[24]。 横須賀海軍工廠の調査が行われ機関は修理をすれば使えるが、船体は老朽化が進んで廃船処分が適当と報告され[25]、 4月11日に「小鷹」廃船処分の上申[26]、 4月28日廃船処分が認許された[27][28]。 主機械とその補機類は海軍機関学校生徒の実習として分解、陸上に移転して再組立された[29]。 5月3日に船体は海軍機関学校から横須賀海軍工廠へ引き渡された[30]

水雷標的船

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1918年(大正7年)、鎮海湾での「小鷹丸」[31]

同年(1916年)9月29日、廃船処分が訓令されていた旧「小鷹」の船体を水雷標的船に改造するよう、横須賀鎮守府宛に訓令が出された[28]。 12月12日には来年4月中に改造を終えて佐世保海軍港務部に配属するように通達が出された[32]

1917年(大正6年) 2月9日に旧水雷艇「小鷹」は雑役船(標的船)に編入され「小鷹丸」と命名[33]、 6月14日付で佐世保海軍港務部所属となり[34]、 6月15日に第三艦隊の訓練の為に呉海軍港務部から第五駆逐隊に引き渡された[35]

1918年(大正7年)の夏には朝鮮半島南部の鎮海湾に進出した[31]

1920年(大正9年)7月1日に「小鷹」に改名した[14]

1921年(大正10年)、佐世保港に潜水艦錨地を整備するに当たり、適当な「小鷹」の繋留地が無いために廃船が検討された[36]

佐世保港橋船

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1922年(大正11年) 1月16日に「小鷹」を潜水艦員上陸用の橋船に改造することが上申され[37]、 4月26日認許された[38]。 マストを撤去、甲板上に長さ36ft・幅12ftの範囲で木張り、長さ8ft・幅4ftの範囲で鉄板張りが追加され、両舷に幅2ftの舷梯を設置、船体は赤塗(防錆)塗装の上に黒塗り塗装とされた[39]

1926年(大正15年) 4月の時点で船体は腐食が進み、水線付近に空いた穴には応急処置で木片を詰めただけで、いつ沈没してもおかしくない状況だった[40]。 9月18日還納船舟に編入され、9月26日佐世保防備隊から佐世保海軍港務部へ引き渡し[41]、 10月11日に廃船[42]、 12月2日付で佐世保海軍工廠へ引き渡された[43]

1927年(昭和2年) 1月11日、船体は1,558円で佐世保市八木儀道に売却された[44]

信号符字

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  • GQDP(1888年11月5日-)[45]

公試成績

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実施日 種類 排水量 回転数 出力 速力 場所 備考 出典
1888年4月18日 試運転 15.654ノット 続航運転 [46]
1888年4月18日 試運転 17.835ノット 全力相当 [46]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『世界の艦船』によると計画1,300馬力、公試成績1,217馬力。『日本駆逐艦物語』では単に1,217馬力とだけある。
  2. ^ 『世界の艦船』によると計画19ノット、公試成績17.835ノット。『日本駆逐艦物語』では単に19ノットとだけある。
  3. ^ 『日本駆逐艦物語』によると燃料は石炭50トン
  4. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.389、明治20年3月29日(訓令80)「横須賀造船所ニ於テ構成セル装甲水雷艦ヲ小鷹コタカト命名セラル此旨心得ヘシ」

出典

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  1. ^ #日本海軍全艦艇史(1994)p.810、写真No.2467の解説。
  2. ^ a b 日本近世造船史明治 1973, p. 332.
  3. ^ #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/小鷹横須賀鎮守府所轄水雷術演習艦附属画像1、明治20年3月30日訓令第31号「横須賀鎮守府所轄第二予備艦春日艦及常用小艦磐城艦ハ自今横須賀鎮守府所轄常用艦ト定メラレ小鷹艦ハ横須賀鎮守府所轄ト定メラル此旨心得ヘシ」。同普1718-3「其府所轄小鷹艦ハ当分水雷術練習艦附属ト心得ヘシ」
  4. ^ #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/18年6月17日八田少佐の報告画像9
  5. ^ a b 『日本海軍 艦船名考』60頁。
  6. ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第3巻p.17
  7. ^ a b c d e f g h #帝国海軍機関史(1975)上巻p.526
  8. ^ a b #M41達/3月画像16、明治41年4月1日達第39号
  9. ^ a b #帝国海軍機関史(1975)下巻p.285
  10. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.177、明治21年2月13日訓令18。
  11. ^ 『日本駆逐艦物語』p306-307による。
  12. ^ 『世界の艦船 日本海軍特務艦船史』による。
  13. ^ #公文備考別輯武蔵鳥海小鷹満珠干珠/18年6月17日八田少佐の報告画像16
  14. ^ a b c d e 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p.489
  15. ^ 『日本駆逐艦物語』p252。
  16. ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)上巻p.342
  17. ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻p.425
  18. ^ a b #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.355
  19. ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.365
  20. ^ #M21達/4月画像4、明治21年4月9日達第17号
  21. ^ #M22達(上)/6月(1)画像28-29、明治22年6月11日達第198号
  22. ^ #日本海軍全艦艇史(1994)p.810、写真No.2466の解説。
  23. ^ #M28達/7月画像6、明治28年7月23日達第59号
  24. ^ #T5公文備考26/換装、引換画像44-45、大正5年3月1日官房第563号「絶液腺所属變更並組替ノ件 横須賀海軍港務部所属曳船兼交通船第三横須賀丸 海軍機関学校所属練習船小鷹 右各其ノ所属ヲ解キ第三横須賀丸ハ練習船ニ組替ヘ海軍機関学校所属ト定ム 右訓令ス」
  25. ^ #T5公文備考27/売却及処分(3)画像3、大正5年4月4日横廠第43号の8の2「還納船艇検査報告」
  26. ^ #T5公文備考27/売却及処分(3)画像1、大正5年4月11日官房1112号(横鎮第37号の15「小鷹(旧水雷艇)廃船處分ノ件」
  27. ^ #T5公文備考27/売却及処分(2)画像31-32、大正5年4月28日官房第1112号の2「横鎮第三七号ノ一五級水雷艇小鷹廃船處分ノ件認許ス 但シ主機械ハ海軍兵学校生徒教鞭用トシテ同校ヘ保管転換方取計フヘシ」
  28. ^ a b #T5公文備考24/改造(6)画像20-21、大正5年9月29日官房第2925号「本年四月二十八日官房第一一一二号ノニヲ以テ廃船處分方認許シタル旧水雷艇小鷹ノ船體ヲ水雷標的船ニ改造工事施行セシムヘシ 但シ工事方案ニ付イテハ海軍技術本部長ヲシテ其ノ府工廠長ニ通知セシム 右訓令ス」
  29. ^ #T5公文備考27/売却及処分(2)画像33-34、大正5年5月1日軍第145号の3「旧水雷艇小鷹機械ニ関スル件」。同画像36-34、大正5年4月18日軍第145号の2「練習船小鷹用機関ニ関スル件」
  30. ^ #T5公文備考27/受授、引渡画像17、大正5年5月8日横港第3号の131
  31. ^ a b #日本海軍全艦艇史(1994)p.810、写真No.2468の解説。
  32. ^ #T5公文備考27/雑船(3)画像47-51、大正5年12月12日軍務機密第454号
  33. ^ #海軍公報(部外秘)/大正6年2月(1)画像17、大正6年2月9日、官房第411号「小鷹丸(舊水雷艇小鷹) 右雑役船(標的船)ニ編入シ佐世保海軍港務部附属ト定メ頭書ノ通船名ヲ付与ス」
  34. ^ #T6公文備考21/引渡、授受(2)画像5、大正6年6月19日佐港第5号の28
  35. ^ #T6公文備考21/引渡、授受(2)画像9、大正6年6月15日呉鎮第1213号
  36. ^ #T10公文備考26/雑役船に関する件(2)画像4-5、大正10年7月14日佐港第16号の47「雑役船ニ関スル件」
  37. ^ #T11公文備考35/改造(1)画像18、大正11年1月16日佐鎮第69号
  38. ^ #T11公文備考35/改造(1)画像16-17、大正11年4月26日官房第160号の2
  39. ^ #T11公文備考35/改造(1)画像22「標的船小鷹橋船ニ改造見積」
  40. ^ #T15(S1)公文備考29/特務艦間宮糧食配給艇新造搭載の件(1)画像33-34大正15年4月2日号外「雑役船橋船ニ関スル件」
  41. ^ #T15(S1)公文備考30/呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(7)画像12、大正15年9月28日佐港第14号の58
  42. ^ #T15(S1)公文備考30/呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(7)画像20、大正15年10月11日佐鎮第39号の73の5
  43. ^ #T15(S1)公文備考30/呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(7)画像48-49、大正15年12月16日佐港第14号の59
  44. ^ #S2公文備考36/汽動艇外1隻廃船処分の件(1)画像22、昭和2年2月4日佐廠第84号の4「雑船売却ノ件」
  45. ^ #M21達/11月画像1、明治21年11月5日達第128号『各艦船ニ萬國信號符字ヲ左ノ如ク點付シ明治十九年一月丙第三號達符字表中東、雷電、孟春、千代田形、肇敏、蒼龍、攝津、畝傍ノ八艦名及其砲數ヲ示ス數字ヲ刪除ス 明治二十一年十一月五日 海軍大臣伯爵西郷從道 信號符字 艦名 砲數 GQDL 館山 Tate-yama 〇 GQDM 滿珠 Man-ju 四 GQDN 干珠 Kan-ju 四 GQDP 小鷹 Ko-taka 〇 GQDR 第一震天 Dai-ichi-shin-ten 〇 GQDS 第二震天 Dai-ni-shin-ten 〇 GQDT 第三震天 Dai-san-shin-ten 〇 GQDV 第四震天 Dai-shi-shin-ten 〇』
  46. ^ a b #M21公文雑輯4/小鷹試運転成績表画像3

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター
    • 防衛省防衛研究所
    • 『公文備考別輯』
      • 「18年6月17日 主船局上申 ヤロー社へ水雷艇注文に関する八田少佐の報告」『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21』、JACAR:C11081439800 
      • 「20年3月30日 海軍一般 小鷹艦を横須賀鎮守府所轄に定められ水雷術演習艦附属とす小鷹艇長浦水雷艦に引渡済の件」『公文備考別輯 完 新艦製造部 武蔵 鳥海 小鷹 満珠 干珠 明治15~21』、JACAR:C11081441000 
    • 『達』
    • 『公文備考』
      • 「改造(6)」『大正5年 公文備考 艦船1 巻24』、JACAR:C08020762200 
      • 「換装、引換」『大正5年 公文備考 巻26 艦船3』、JACAR:C08020764500 
      • 「受授、引渡」『大正5年 公文備考 巻27 艦船4』、JACAR:C08020766100 
      • 「売却及処分(2)」『大正5年 公文備考 巻27 艦船4』、JACAR:C08020766500 
      • 「売却及処分(3)」『大正5年 公文備考 巻27 艦船4』、JACAR:C08020766600 
      • 「雑船(3)」『大正5年 公文備考 巻27 艦船4』、JACAR:C08020767000 
      • 「引渡、授受(2)」『大正6年 公文備考 艦船3 巻21』、JACAR:C08020927400 
      • 「雑役船に関する件(2)」『大正10年 公文備考 艦船3 巻26』、JACAR:C08050178700 
      • 「改造(1)」『大正11年 公文備考 艦船3 巻35』、JACAR:C08050449400 
      • 「特務艦間宮糧食配給艇新造搭載の件(1)」『大正15年昭和元年 公文備考 艦船4 巻29』、JACAR:C04015127000 
      • 「呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(7)」『大正15年 昭和元年 公文備考 艦船5 巻30』、JACAR:C04015132000 
      • 「呉鎮第34号の75の5 公称第280号 汽動艇外1隻廃船処分の件(1)」『昭和2年 公文備考 艦船7 巻36』、JACAR:C04015634300 
    • 『海軍公報』
  • 浅井将秀編『日本海軍 艦船名考』東京水交社、1928年。
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 中川努「日本海軍特務艦船史」
世界の艦船 増刊第47集』(海人社、1997年3月号増刊、第522集)
  • 造船協会/編『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書 第205巻、原書房、1973年(原著1911年)。 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 横須賀海軍工廠/編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。 

関連項目

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