第六十七号型水雷艇
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第六十七号型水雷艇 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 水雷艇 |
艦名 | 番号 |
前級 | 第三十九号型水雷艇 |
次級 | |
要目(竣工時) | |
排水量 | 常備:89トン |
全長 | 垂線間長:40.10m (131ft 7in)[1] |
全幅 | 4.99m (16ft 3in)[1] |
吃水 | 1.03m (3ft 4in)[1] |
機関 | 艦本式缶2基 直立式3気筒3段膨張レシプロ1基 1軸、1,200馬力 |
速力 | 23ノット[2] |
航続距離 | |
燃料 | 石炭:27トン(満載) |
乗員 | 23名 |
兵装 | 5.7cm山内単装速射砲2基 36cm水上魚雷発射管 旋回式2門、固定式1門 |
同型艦 | 9隻 |
第六十七号型水雷艇(だいろくじゅうななごうがたすいらいてい、旧字体:第六十七號型水雷艇)は日本海軍の二等水雷艇。同型艇9隻。(改)シーシャウ型。
概要
[編集]1897年(明治30年)度計画により9隻が建造された。ドイツのシーシャウ社に発注された第二十二号型水雷艇の発展形でシーシャウ型(または改シーシャウ型)と称した。艦型を一回り大きくし、またボイラーは艦本式ボイラーが初めて搭載された。
各艇は日露戦争で旅順攻略戦や日本海海戦に参加、第69号が日本海海戦で戦没している。
その他の8隻は1922年(大正11年)から1923年(大正12年)に除籍された。
同型艦
[編集]建造は横須賀=横須賀海軍工廠、佐世保=佐世保海軍工廠、川崎=川崎造船所(神戸市)。
- 第67号 : 1903年(明治36年)6月20日竣工(横須賀)。1922年(大正11年)4月1日除籍。
- 第68号 : 1903年(明治36年)6月20日竣工(横須賀)。1922年(大正11年)4月1日除籍。
- 第69号 : 1903年(明治36年)9月26日竣工(佐世保)。1905年(明治38年)5月27日戦没。
- 第70号 : 1903年(明治36年)11月10日竣工(佐世保)。1922年(大正11年)4月1日除籍。
- 第71号 : 1903年(明治36年)12月9日竣工(佐世保)。1922年(大正11年)4月1日除籍。
- 第72号 : 1903年(明治36年)9月8日竣工(横須賀)。1922年(大正11年)4月1日除籍。
- 第73号 : 1903年(明治36年)9月2日竣工(横須賀)。1923年(大正12年)4月1日除籍。
- 第74号 : 1904年(明治37年)1月14日竣工(川崎)。1923年(大正12年)4月1日除籍。
- 第75号 : 1904年(明治37年)1月23日竣工(川崎)。1923年(大正12年)4月1日除籍。
脚注
[編集]- ^ a b c 数値(メートル)は『世界の艦船 増刊第47集』による。フィートインチの数値は『日本駆逐艦物語』による。メートルに換算するとそれぞれ垂線間長40.11m、最大幅4.95m、吃水1.02m。
- ^ 『日本駆逐艦物語』によると23.5ノット。
参考文献
[編集]- 中川努「日本海軍特務艦船史」『世界の艦船 増刊第47集』海人社、1997年3月号増刊、第522集。
- 福井静夫『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0611-6
- 堀元美『駆逐艦 その技術的回顧』原書房、1969年。ISBN 4-562-01873-9