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第2期名人戦 (将棋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2期 名人戦
開催期間 1938年 - 1940年7月25日
前名人 木村義雄(初)
第2期名人 木村義雄(通算2期目)
名人戦
第1期第3期 >
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第2期名人戦(だい2きめいじんせん)は、1939年度、1940年度の名人戦である。

概要

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第1期名人戦では、全八段の特別リーグ戦と普通棋戦との総合成績により挑戦者を決めていた[1]。第2期名人戦では、リーグ戦の戦績だけで挑戦者を決める形式に変更となった[2]。第一次リーグと第二次リーグを行い、優勝者を決める形式が取られた。なお、第一次リーグの時点で、成績が1勝6敗以下の棋士はその時点で失格となった[3]

リーグ戦の参加者は、土居市太郎八段、金易二郎八段、花田長太郎八段、金子金五郎八段、神田辰之助八段、萩原淳八段、斎藤銀次郎八段の7名と、七段リーグ戦を勝ち抜いた渡辺東一七段、八段格の坂田三吉の2名を加えた9名で行われた[3]。第一次リーグで1勝7敗の花田長太郎八段は失格となり、第二次リーグに進むことができなかった[3]

リーグ戦の結果、第一次リーグと第二次リーグで13戦全勝の土居市太郎八段が、木村義雄名人への挑戦権を獲得した[2][3]

名人戦七番勝負では、木村義雄名人が4勝1敗(2千日手)でタイトルを防衛し、2期連続2期目の名人位獲得を果たした[4][5]

名人戦七番勝負

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対局者 第1局 第2局 第3局 第3局
指し直し
第3局
指し直し
第4局 第5局
1940年
4月28日・5月1日〜3日
1940年
5月11日〜13日
1940年
5月21日・22日
1940年
6月3日・4日
1940年
6月25日〜27日
1940年
7月11日〜13日
1940年
7月23日〜25日
木村義雄 名人 名人位防衛
土居市太郎 八段

挑戦者決定リーグ

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総合成績

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成績順 棋士 備考 第一次リーグ 第二次リーグ
1 土居市太郎 八段 13 0 挑戦 8勝0敗 5勝0敗
2 萩原淳 八段 9 4 6勝2敗 3勝2敗
3 神田辰之助 八段 8 7 4勝4敗 4勝3敗
4 阪田三吉 八段格 7 8 2勝6敗 5勝2敗
5 金子金五郎 八段 6 7 5勝3敗 1勝4敗
6 斎藤銀次郎 八段 6 8 4勝4敗 2勝4敗
7 渡辺東一 七段 5 9 2勝6敗 3勝3敗
8 金易二郎 八段 5 10 4勝4敗 1勝6敗
9 花田長太郎 八段 1 7 1勝7敗

第二次リーグ

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棋士 備考 土居 金子 神田 萩原 斎藤 坂田 渡辺
土居市太郎 八段 5 0
金易二郎 八段 1 6
金子金五郎 八段 1 4
神田辰之助 八段 4 3
萩原淳 八段 3 2
斎藤銀次郎 八段 2 4
阪田三吉 八段格 5 2
渡辺東一 七段 3 3

第一次リーグ

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棋士 備考 土居 花田 金子 神田 萩原 斎藤 坂田 渡辺
土居市太郎 八段 8 0
金易二郎 八段 4 4
花田長太郎 八段 1 7 失格
金子金五郎 八段 5 3
神田辰之助 八段 4 4
萩原淳 八段 6 2
斎藤銀次郎 八段 4 4
阪田三吉 八段格 2 6
渡辺東一 七段 2 6

脚注

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  1. ^ 山本 1966, pp. 56–58.
  2. ^ a b 田辺 2006, p. 10
  3. ^ a b c d 山本 1966, p. 74
  4. ^ 山本 1966, pp. 75.
  5. ^ 日本将棋の歴史(21)|将棋の歴史”. 日本将棋連盟. 2022年2月5日閲覧。

参考文献

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  • 山本武雄将棋百年時事通信社 / 国立国会図書館デジタルコレクション、1966年。ASIN B000JA9I5Yhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2511434/1/1 
  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 

外部リンク

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