第28回日本選手権競輪
第28回日本選手権競輪(だい28かい にほんせんしゅけんけいりん)は、1975年に千葉競輪場で行われた。
決勝戦
[編集]- 3月25日(火)
着順 | 車番 | 選手 | 登録地 |
---|---|---|---|
1 | 6 | 高橋健二 | 愛知県 |
2 | 2 | 伊藤繁 | 神奈川県 |
3 | 3 | 田中博 | 群馬県 |
4 | 1 | 須田一二三 | 岐阜県 |
5 | 4 | 工藤元司郎 | 茨城県 |
6 | 9 | 加藤善行 | 岩手県 |
7 | 8 | 小山靖 | 宮城県 |
落棄 | 5 | 福島正幸 | 群馬県 |
落棄 | 7 | 河内剛 | 宮城県 |
- 配当
- 連勝単式 5-2 6730円
レース概要
[編集]グランドスラム(当時は日本選手権競輪、高松宮杯競輪、オールスター競輪、競輪王の4つ)に王手をかけた福島正幸、ゴールデンレーサー賞を制した伊藤繁、大会連覇を狙う田中博あたりが人気の中心となった。
レースは最終ホーム付近より、高橋が須田を連れてカマシ気味に叩いて出たところ、最終1センター付近で先頭に立った。すると、同2角付近で正攻法の位置にいた福島が転倒。これに河内が乗り上げた。福島、河内の落車の影響を受け、後続が立ち遅れ、さらにマークの須田が千切れ気味になったため、3~4角付近にかけて高橋が後続を引き離して快調に飛ばす。漸く直線に入って伊藤-田中が追撃体勢に入って高橋を追い詰めたものの届かず。高橋が逃げ切って初のタイトルを手中にした。
その後の競輪界の構図
[編集]当レースが行われる前までは、上記の福島、田中に加え、阿部道(宮城)の3選手が「三強」を形成し、彼らは1970年から1974年までの5年間に行われた19回の特別競輪(現在のGI)のうち、3人合わせて11回優勝していた。したがって三強絶頂時代ともいうべき時代であったわけだが、この一戦以後、彼らは特別競輪で優勝できなくなったばかりか、決勝戦に進出する機会すらほとんどなくなったため、後に鈴木保巳が月刊競輪の記事でたびたび、「競輪の歴史を変えた一戦」と称した歴史的大会とあいまった。
当時22歳だった高橋の当大会優勝以後、特別競輪の優勝者は20代前半の選手が中心となり、「ヤング全盛時代」と呼ばれるようになったが、一方で優勝者が猫の目のごとくコロコロと変わるという、「戦国時代」へと突入することになる。
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