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筒井竹雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
筒井 竹雄
筒井 竹雄 1953年
生誕 1902年5月20日
日本の旗 日本 和歌山県
死没 (1968-09-15) 1968年9月15日(66歳没)
所属組織 警察予備隊
保安隊
陸上自衛隊
軍歴 1950 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1957(陸自)
最終階級 陸将
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筒井 竹雄(つつい たけお、1902年明治35年〉5月20日 - 1968年昭和43年〉9月15日)は、日本朝鮮総督府官僚陸上自衛官。初代陸上幕僚長

経歴

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和歌山県出身。筒井熊吉の長男として生まれる。和歌山中学第五高等学校を経て、東京帝国大学に入学。1925年大正14年)11月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。

1927年(昭和2年)4月、拓務省に入省し、朝鮮総督府属となり内務局に配属。以後、専売局属、咸鏡南道地方課長、京畿道学務課長、咸鏡北道警察部長、警務局図書課長、内務局地方課長などを歴任し、終戦時は黄海道知事であった[1]。たまたま京城に出張中であったが、総督府からソ連軍の情報を得て急遽、任地に戻った。戻ればソ連に捕まるとの周囲からの引き留めに対し、「部下や民衆をそのままにできない」として決然と任地に戻り結局ソ連に捕まりシベリアに連行された[1]

シベリア抑留を経て1950年(昭和25年)4月に帰国。同年12月、警察予備隊に入隊。第4管区総監当時の1951年(昭和26年)10月、ルース台風の発生に際して日本初の災害派遣を行なった。帰宅しようとしていたところ普通科第11連隊の副連隊長達に捕まり直訴を受け、総隊総監部を通じて意見具申を行ない、出動が決まった。

1954年(昭和29年)7月の陸上自衛隊発足に際し、初代陸上幕僚長に就任。草創期は世論が冷たく隊員は肩身の狭い思いもしたが、徳をもって隊員をよくまとめた[1]。陸幕長を3年余り務め、1957年(昭和32年)8月に退官。

第五高、東大では野球部の投手として活躍し[2]、自衛隊でも軟式野球大会で活躍した[1]

年譜

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栄典

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  • 勲二等瑞宝章 - 1968年(昭和43年)9月15日

脚注

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  1. ^ a b c d 歴代陸幕長を総括する / 小名孝雄「軍事研究」 1985年5月 P54~68 ジャパンミリタリー・レビュー
  2. ^ 五高人物史 五高人物史刊行会,1959年
  3. ^ 『官報』本紙第7369号(昭和26年8月2日)
  4. ^ 『官報』本紙第12532号(昭和43年9月20日)
  5. ^ 『官報』本紙第12531号(昭和43年9月19日)

参考文献

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先代
林敬三(第一幕僚長)
陸上幕僚長
第2代:1954年 - 1957年
次代
杉山茂