コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

君塚栄治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
君塚 栄治
2012年3月、陸上幕僚監部にて
生誕 1952年7月16日
日本の旗 日本 神奈川県
死没 (2015-12-28) 2015年12月28日(63歳没)
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1976 - 2013
最終階級 陸上幕僚長たる陸将
除隊後 小松製作所顧問[1]
テンプレートを表示
米海軍強襲揚陸艦エセックス」艦内で、案内を受ける君塚
沖縄県在日米軍基地を視察する君塚
東日本大震災の時、米空母ロナルド・レーガン」艦内で支援の状況を確認する君塚

君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年昭和27年〉7月16日 - 2015年平成27年〉12月28日)は、日本陸上自衛官。第33代陸上幕僚長1等陸佐までの職種は野戦特科。自衛隊初の災統合任務部隊(JTF)指揮官・東北方面総監経験者初の陸上幕僚長。位階従三位

概要

[編集]

神奈川県相模原市出身[2]東京都立豊多摩高等学校卒業。防衛大学校(第20期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。アメリカ陸軍上級砲兵学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学及び幹部レンジャー課程空挺課程を修了。東北方面総監在任時に発生した東日本大震災においては自衛隊の統合運用史上最大となる10万人規模からなる陸海空の統合任務部隊(JTF-TH:Joint Task Force - Tohoku)の指揮官を務め、人命救助や被災地支援などの陣頭指揮にあたった(東日本大震災に対する自衛隊の対応)。その功績により東北方面総監からは初となる陸上幕僚長への昇格を果たした。陸幕長就任に際しては「国家の緊急事態における『最後の砦』としての陸上自衛隊」を信念に掲げ、在任中は水陸両用部隊の整備や機動力向上をはじめ、通信システムの海空自衛隊との連接、米海兵隊との共同訓練の推進や連絡幹部交換の開始など新たな取り組みに着手した[3]2013年(平成25年)1月には陸幕長として15年ぶりにインドネシアを訪問し、米陸軍指揮幕僚大学留学時の同期生であるユドヨノ大統領を表敬。積極的に海外を訪問し、東日本大震災の教訓をもとに人道支援・災害救援(HA/DR:Humanitarian Assitance and Disaster Relief[4])における各国の連携を呼びかけるなど、国際的な防衛協力・交流の推進にも尽力した[3]

2015年(平成27年)12月28日、肺がんのため死去[5]。63歳没。没後に従三位に叙され、瑞宝重光章を追贈された[6]

略歴

[編集]

栄典

[編集]

参考資料

[編集]
  • 防衛年鑑 ISBN 9784938468316(2010年版・543頁)
  • 防衛省人事発令(2010~2013将人事)

脚注

[編集]
  1. ^ 平成25年自衛隊員の営利企業への就職の承認に関する報告(防衛省報道資料、2014年4月)
  2. ^ “統率方針に「任務完遂」 陸自第8師団長・君塚氏が着任会見=熊本”. 読売新聞西部朝刊. (2007年7月6日). p. 29 
  3. ^ a b 君塚前陸幕長が死去 朝雲新聞(平成28年1月7日)第11面
  4. ^ 防衛省・自衛隊:拡大ASEAN国防相会議、専門家会合(EWG)
  5. ^ 震災救助部隊を一元指揮 前陸幕長、君塚栄治氏が死去 63歳 産経新聞 2015年12月29日閲覧
  6. ^ a b 官報』第6708号(平成28年2月4日付)10頁「叙位・叙勲」
  7. ^ 第8師団長叙勲受章 20.3.11”. 陸上自衛隊 第8師団 (2008年3月11日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月1日閲覧。
先代
火箱芳文
陸上幕僚長
第33代:2011年 - 2013年
次代
岩田清文
先代
宗像久男
東北方面総監
第34代:2009年 - 2011年
次代
渡邊隆