細川元定
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2024年5月) |
時代 | 戦国時代→安土桃山時代 |
---|---|
生誕 | 天文5年(1536年) |
死没 | 文禄4年(1595年)1月5日 |
別名 |
勘左衛門(通称) 法徳院了安泰誉(法名) 仰斎紹高(号) |
官位 | 上総介 |
幕府 | 室町幕府 |
主君 | 織田信長→浪人→豊臣秀吉 |
氏族 | 細川阿波守護家 |
父母 | 父:細川政勝 |
子 | 全隆、寿洪[1] |
細川 元定(ほそかわ もとさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。細川阿波守護家出身。
概要
[編集]天正3年(1575年)、織田信長に仕えて300石を与えられた。その後、細川信良の補佐として付属され、天正9年(1581年)2月28日の京都御馬揃えにも参加した[2]。
天正10年(1582年)の本能寺の変後は浪人となって京都に寓居するが、天正19年(1591年)、豊臣秀吉に仕えて山城国愛宕郡に所領を与えられた[2]。
文禄4年(1595年)1月5日、死去。享年59[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年、414頁。ISBN 978-4-642-01457-1。