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細川元定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川元定
時代 戦国時代安土桃山時代
生誕 天文5年(1536年
死没 文禄4年(1595年1月5日
別名 勘左衛門(通称)
法徳院了安泰誉(法名)
仰斎紹高(号)
官位 上総介
幕府 室町幕府
主君 織田信長→浪人→豊臣秀吉
氏族 細川阿波守護家
父母 父:細川政勝
全隆、寿洪[1]
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細川 元定(ほそかわ もとさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将細川阿波守護家出身。

概要

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天文5年(1536年)、細川政勝の子として誕生する。

天正3年(1575年)、織田信長に仕えて300石を与えられた。その後、細川信良の補佐として付属され、天正9年(1581年)2月28日の京都御馬揃えにも参加した[2]

天正10年(1582年)の本能寺の変後は浪人となって京都に寓居するが、天正19年(1591年)、豊臣秀吉に仕えて山城国愛宕郡に所領を与えられた[2]

文禄4年(1595年)1月5日、死去。享年59[2]

子孫は医師として江戸幕府に仕えた[3]

脚注

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  1. ^ 「細川之系図[1]
  2. ^ a b c 谷口 2010, p. 414.
  3. ^ 『寛政重修諸家譜[2]

参考文献

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  • 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』吉川弘文館、2010年、414頁。ISBN 978-4-642-01457-1