細谷巌太郎

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細谷 巌太郎(ほそや いわたろう、1844年12月14日(弘化元年11月5日[1][注 1]) - 1919年(大正8年)11月16日[2])は、明治から大正時代の政治家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴[編集]

出羽国村山郡、のちの山形県西村山郡谷地町(現河北町)出身[1]。細谷義七郎の長男として生まれ、1875年(明治8年)12月、家督を相続する[1]

1880年(明治13年)以降、山形県会議員、同副議長、同議長を務めた[2]。ほか、両羽農工銀行[注 2]頭取や山形商業会議所特別議員を歴任した[1]

1904年(明治37年)山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[3]1918年(大正7年)9月28日まで務めた[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『議会制度七十年史 第1』212頁では弘化2年11月生。
  2. ^ みずほ銀行の前身行のひとつ。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 人事興信所 1915, ほ19頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 212頁.
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。

参考文献[編集]