肩車 (柔道)
肩車(かたぐるま)は、柔道の投げ技の手技16本の一つ。投の形の手技の3本目にある。講道館や国際柔道連盟 (IJF) での正式名。IJF略号KGU。別名絹担(きぬかつぎ)[1]。
概要
[編集]前に相手の重心を崩しながら、相手の前にもぐりこむ。引き手を肩の上で引き込みながら、相手の股の間に釣り手を持っていた手を入れ、肩の上に乗せるように持ち上げる。引き手を引き込むような感じで相手の体を前転させ背中から落とす。レスリングの技ファイヤーマンズキャリー(飛行機投げ)とほぼ同形である。
あまり早く引き込みすぎると崩しが不十分になる。腰を曲げて背中に乗せてしまうと落とすことは出来ないし、そもそも「肩」車ではない。そのため膝を曲げ腰に力を集中させ、背筋を伸ばすことが肝心要である[要出典]。
背負投の連携技として使うとリスクがかなり大きいが、双手刈や朽木倒などの技とは相性が良い。
以前は日本国内で使用する選手はほとんどいなかったが、1995年あたりから86 kg級の世界チャンピオンだった中村佳央が積極的に用いるようになり、その後は軽量級、中量級の選手を中心にこの技を使用する選手がよく見られるようになった。
神道六合流では相撲の腕捻りの様な技肩落の別名を「肩車」としている[2]。
変化
[編集]持ち上げる前に片膝をつく肩車もある。着く膝は釣り手側の場合もあれば引き手側の場合もある[3]。
右組で相手を持ち上げた後、体を左に開いて、右手を相手の右袖に持ちかえ一本背負投の様に投げ落とす肩車もある[4]。
相手を持ち上げた後、自身の真後ろに体を反らせて捨てながら相手を落とす肩車もある[5][6]。1948年の講道館機関誌『柔道』で玉嶺生は、後ろに反り倒す肩車は相撲では撞木反りにあたる旨述べている[7]。この肩車と同様、撞木反りは相手を肩にかつぎ上げてから後ろに反り倒す[8]。
相手を持ち上げた後、前屈し自身の真前に相手を落とす肩車もある[9][10]。
立ち上がらず相手を持ち上げないで、自身の真後ろに体を反らせて捨てながら相手を落とす肩車もある[11]。1948年の講道館機関誌『柔道』で玉嶺生は、後ろに反り倒す肩車は相撲では襷反りにあたる旨述べている[7]。
2004年の書籍『柔道技の見極めハンドブック』によると、右手で相手の左袖を取り相手の左腋下に頭を突っ込み右手で左内腿を取り肩車の様に相手の上体を極めながら、右脚を伸ばしての横捨身技は講道館では浮技としてるがIJF主催大会では「肩車」としてることが多い、としている[12]。
スタンディング肩車
[編集]スタンディング肩車(スタンディングかたぐるま)は右手で相手の左袖を持ち頭部を相手の左腋下に突っ込み後ろに立ち姿勢のまま、反り投げる肩車[13]。または左手で相手の左袖を取り右手で相手の左腋下辺りを持って左手を相手の左内腿に持ちかえ相手を持ち上げ落とす肩車[14]。グランプリ・ザグレブ2021でアンジェロ・パンターノ(イタリア)が一本をとり、IJF柔道アワード2021ベスト一本となった技はIJF柔道アワード2021の際は「スタンディング肩車」とされたが[13]、IJF公式の決り技は裏投となっている[15]。自身が倒れ込んで投げていた。相手の脚に触らないでも可能な肩車である。
ラーツ・ドロップ
[編集]ラーツ・ドロップは右自然体から左手を相手の左袖に持ちかえ、頭部を相手の左腋下に突っ込んで自身の右側に捻り落とす肩車。1990年代前半に活躍していたベルギーのラーツ兄弟(65 kg級のフィリップ・ラーツと78 kg級のヨハン・ラーツ)がこのスタイルの肩車を得意にしてよく使っていたことからそう呼ばれていた[16]。脚掴み禁止のルールでも使用可能な肩車である。
ランニング肩車
[編集]ランニング肩車(ランニングかたぐるま)は頭部を相手の腋の下に突っ込んだあと、前方に走ってから捻り落とすラーツ・ドロップ。右自然体から左手を相手の左袖に持ちかえ、頭部を相手の左腋下に突っ込んで前に走って相手の左足が下がったタイミングで相手を自身の右側に捻り倒す[17]。2024年パリオリンピックの柔道混合団体決勝戦でジョアン=バンジャマン・ガバ(フランス)が阿部一二三(日本)にこの技で勝利した。日刊スポーツによるとXでは「こんなん柔道って認めたくないな」、「タックルまがいな技って柔道でありなの?」など批判が相次ぎ、柔道家の丸山剛毅は「柔道詳しく知らない人だと思いますので教えてあげましょう。この技は肩車です。足取りが廃止されてから外国人が考えてきた素晴らしい技です。」と述べた[18]。
向返
[編集]向返(むこうがえし)[19]は双手刈の様に相手の両膝裏を両手で持ち、頭部を相手の右腋下に出して、右肩を相手の腹に当て、後方に立ち姿勢のまま反り投げる肩車[20]。自身も倒れ込むと裏投となる[21]。
歴史
[編集]嘉納が福田の道場でいつも乱取りを取る福島兼吉という男にどうしても勝てず、相撲の技を覚えたら勝てると思った嘉納は、当時二段目の力士だった内山喜惣右衛門という男に習ったがそれでも勝てず終いだった。そこで遂には、西洋の技を取り入れようと上野の図書館でいろいろ調べたところ現代の肩車の応用のような技を見出した。そして、嘉納は大学の友達を捕まえては投げてみると面白いように技が掛かる。何度も繰り返し練習した嘉納はついに福島の大きな体を投げ倒すことが出来たという[22]。
一説には、「サンボから逆輸入した。」という説もあるが、嘉納は西洋の何という技法から肩車を編み出したのかは明らかにしていない。しかし、西洋でなくとも日本の柔術にも肩車の原型は存在していた。
肩車の名手で有名な神田久太郎が講道館機関誌『柔道』の1966年2月号では戸塚楊心流、1948年3月号では起當流[23]の「絹担」を導入し肩車を改良した。一度、両肩に抱上げてからしかるのちに右前隅に投げていたのを頭上を越して右前隅または真前に投げるのを一拍子に行うようにした[24]。また、講道館機関誌『柔道』によると、1966年までに講道館でも絹担は肩車であるとした[25]。
幕末に渋川流、良移心当流、戸塚派楊心流を学んだ久冨鉄太郎は著書の中で「衣カツギ」という肩車と同様の乱取技を記している[26]。内容は「敵に左手で我右袖を取られた際、右手で敵の左腕を上から巻くように取り、体を屈めて腕の下に入り込み敵の左脇に首を付け左手を股に差し入れて抱え体を伸ばして右に落とす。」というもので別法には左膝を突いて同様に掛ける方法もあった。
明治時代に警視庁の弥生祭武術大会等に出場していた柔術家で振気流練体柔術を開いた隈元実道の著書にも「絹擔ギ」が紹介されている[27]。
1902年の書籍『日本相撲伝』では肩車と同様の相撲技「絹かつぎ」を紹介している[28]。1948年の講道館機関誌『柔道』で玉嶺生は、肩車は相撲では絹かつぎにあたる旨述べている[7]。絹かつぎは日本相撲協会制定の決まり手には入ったことはない。
国際柔道連盟は2009年にルール改正し、肩車の使用に制限が加えられた。相手が組み手争いから肩越しに逆側の背部を掴んできたような場合や、返し技、連続技の一つとして使うことは問題ないとした[29]。そして、のちに返し技、連続技として使うことも反則となった。脚取り禁止の新ルールに抵触しないように、脚を取らずに相手の懐に潜り込む変則の肩車がよく使用されるようになった[30]。このスタイルの肩車は最近開発された技術ではなく、欧米では「ラーツ・ドロップ」と呼ばれ大分前から知られていたベルギーのラーツ兄弟の得意技だった。なお、同じく1990年代に活躍していたジョージアの60 kg級の選手であったゲオルギ・ワザガシビリもこのラーツ・ドロップとよく似た技を度々使っていた[31]。また、この脚を掴まないスタイルの肩車は、横落や谷落と見なされる場合もある[32]。
脚注
[編集]- ^ 帝国尚武会 編『神道六合流柔術教授書』(龍虎之巻 第三期)帝國尚武會、日本、1917年1月31日、207-210頁。NDLJP:1704216/151。「絹擔」
- ^ 帝国尚武会 編『神道六合流柔術教授書』(龍虎之巻 第三期)帝國尚武會、日本、1917年1月31日、198-199頁。NDLJP:1704216/147。「肩落(肩車)」
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道・投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、28-29頁、NDLJP:6073679/20。
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道·投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、26頁、NDLJP:6073679/19。
- ^ 帝国尚武会 編『神道六合流柔術教授書』(龍虎之巻 第三期)帝國尚武會、日本、1917年1月31日、209頁。NDLJP:1704216/152。「絹擔」
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道·投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、27頁、NDLJP:6073679/19。
- ^ a b c 玉嶺生「柔道五教の技と角力四十八手」『柔道』第19巻第5号、講道館、1948年4月、23頁。
- ^ “撞木反り - 決まり手八十二手”. 日本相撲協会公式ホームページ. 日本相撲協会. 2024年12月12日閲覧。
- ^ 帝国尚武会 編『神道六合流柔術教授書』(龍虎之巻 第三期)帝國尚武會、日本、1917年1月31日、208頁。NDLJP:1704216/152。「絹擔」
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道·投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、27-28頁、NDLJP:6073679/19。
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道·投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、30頁、NDLJP:6073679/21。
- ^ 『柔道技の見極めハンドブック』柏崎克彦(監修)、ベースボール・マガジン社、2004年8月5日、071頁。ISBN 978-4583612836。「浮技(別法)」
- ^ a b IJF JUDO AWARDS 2021(1h21m44s〜) - YouTube
- ^ Standing kataguruma judo and bjj - YouTube
- ^ “Zagreb Grand Prix 2021 / Quarter-Final -60 kg / Italy PANTANO Angelo VS Netherlands JARING Emiel”. 国際柔道連盟 (2021年9月24日). 2024年11月22日閲覧。
- ^ [-78 kg] Johan Laats (BEL) - Petr Babjak (CZE)
- ^ 2 Different concepts of Kata Guruma / JUDO - YouTube Shintaro Higashi チャンネル
- ^ “一二三が敗れた「肩車」ネット上「タックル」「柔道ではない」議論白熱…柔道家が解説する事態に”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2024年8月5日). 2024年12月12日閲覧。
- ^ 島田秀誓『肥後伝来の武術竹内三統流柔術』青潮社、日本、1971年12月20日、88-89頁。NDLJP:12142021/23。
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道·投技~分類と名称~(第3回)4、肩車」『柔道』第61巻第7号、講道館、1990年7月1日、31-32頁、NDLJP:6073679/21。「〔その四〕」
- ^ 醍醐敏郎「講道館柔道・投技 分類と名称(46)裏投(うらなげ)<真捨身技>」『柔道』第66巻第7号、講道館、1995年7月1日、50-51頁。
- ^ 『歴史秘話ヒストリア』「最初はひ弱なインテリだった~柔道を創った男・嘉納治五郎~」NHK総合、2009年10月7日放送。[出典無効]
- ^ 神田久太郎「私の肩車」『柔道』第19巻第3号、講道館、1948年2月1日、16-17頁、NDLJP:6073176/10。「山本先生に起當流の「絹擔」を説明されてから益々肩車の試合に有利なるを思ひ早速練習を初めた」
- ^ 神田久太郎「一人一技 私の肩車」『柔道』第37巻第2号、講道館、1966年2月1日、14-16頁、NDLJP:6073386/12。
- ^ 神田久太郎「一人一技 私の肩車」『柔道』第37巻第2号、講道館、1966年2月1日、15頁、NDLJP:6073386/12。「「註」現在講道館では絹担ぎも肩車としております。」
- ^ 久富鉄太郎 著『普通乱取心得』久富鉄太郎、1891年
- ^ 隈元実道 著『武道教範 訂四版』静思館、1895年
- ^ 雪乃家漁叟 編『日本相撲伝』大黒屋画舗、1902年6月、79頁 。2020年5月11日閲覧。
- ^ 「タックル技」は一度で反則負けに 来年より実施-ウィキニュース
- ^ [eJudo'S EYE]ルールが生み出す新技術、今回は「足を取らない肩車」・世界選手権東京大会 柔道サイト eJudo 2010年10月11日
- ^ Judo EC 1996: Giovinazzo (ITA) - Vazagashvili (GEO)
- ^ 「写真解説 講道館柔道 投技〈下〉真捨身技・横捨身技」 ベースボール・マガジン社、105頁-106頁 ISBN 4-89439-190-2
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 肩車 / Kata-guruma - YouTube KODOKANチャンネル
- 肩車|柔道チャンネル