能登町立宇出津小学校
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能登町立宇出津小学校 | |
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北緯37度18分22.7秒 東経137度08分46.4秒 / 北緯37.306306度 東経137.146222度座標: 北緯37度18分22.7秒 東経137度08分46.4秒 / 北緯37.306306度 東経137.146222度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
併合学校 | 能登町立神野小学校 |
設立年月日 | 明治5年5月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117246300057 |
所在地 | 〒927-0433 |
石川県鳳珠郡能登町宇出津ム字1番地 | |
外部リンク | 公式ホームページ |
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能登町立宇出津小学校(のとちょうりつ うしつしょうがっこう)は、石川県鳳珠郡能登町宇出津にある公立小学校。
沿革
[編集]- 1872年(明治5年)5月 - 石川県第14区小学校創立
- 1872年(明治5年)6月 - 応急校舎新築
- 1875年(明治8年) 6月 - 校舎新築、順天・貞操小学校と改称
- 1887年(明治20年)6月 - 校舎増築、高等・尋常・簡易の3科となる
- 1892年(明治25年)4月 - 宇出津尋常高等小学校と改称
- 1899年(明治32年)1月 - 校舎一部焼失
- 1907年(明治40年)10月 - 校舎増築 (小学校令改正)
- 1913年(大正2年)12月 - 講堂新築
- 1930年(昭和5年)11月 - 校舎新築(山分小学校を合併)
- 1931年(昭和6年)11月 - 鉄筋講堂新築(宇出津町立青年学校を設置)
- 1935年(昭和10年)6月 - 校舎焼失
- 1937年(昭和12年)11月 - 校舎新築
- 1941年(昭和16年)4月 - 宇出津国民学校と改称(学制改革)
- 1947年(昭和22年)4月 - 宇出津町立宇出津小学校と改称(学制改革)
- 1955年(昭和30年)4月 - 町村合併により能都町立宇出津小学校と改称
- 1958年(昭和33年)5月 - 校舎増築
- 1960年(昭和35年)10月 - 学校給食開始
- 1972年(昭和47年) - 危険校舎と認定される
- 1974年(昭和49年)
- 時期不明 - 屋内体育館が不適格建築として認定される
- 1月 - 新校舎建築に着手
- 2月 - 校舎新築のために一部取り壊し(起工式挙行)
- 1976年(昭和51年)7月 - 新築落成式を挙行
- 1978年(昭和53年)7月 - プール完工
- 1979年(昭和54年)9月 - 国旗掲揚柱完成
- 1987年(昭和62年)5月 - 電気節減工事
- 1989年(平成元年)
- 3月 - 屋外遊具取替え工事完了
- 7月 - プール壁面張替え工事完了
- 1990年(平成2年)7月 - 飼育舎改築
- 1991年(平成3年)8月 - 屋内体育館床面改修塗装等工事
- 1992年(平成4年)
- 3月 - 屋内体育館壁面腰板改修工事
- 11月 - 文部省・県指定教育課程研究発表会
- 1995年(平成7年)11月 - 県図書館大会発表
- 1998年(平成10年)9月 - A棟耐震補強工事完了
- 1999年(平成11年)
- 10月 - B・C棟耐震補強工事完了
- 11月 - 大規模改修工事着手
- 2000年(平成12年)10月 - 大規模改修工事完成
- 2005年(平成17年)
- 3月 - 町村合併により能登町立宇出津小学校と改称
- 4月 - 地域ぐるみの学校安全体制整備推進事業(文部科学省委嘱)
- 6月 - 文部科学省「スクールミーティング」開催
- 2007年(平成19年)
- 4月 - 能登町立神野小学校を統合
- 10月 - 県理科教育研究大会授業公開
- 11月 - 学校安全文部科学大臣表彰を受賞
- 2024年(令和6年)1月1日 - 16時10分頃、令和6年能登半島地震により体育館の内壁が破損するなどの被害が発生[1]。1月9日に行う予定だった始業式を延期。
通学区域
[編集]字宇出津、字宇出津新、字宇出津新港、字宇出津山分、字崎山、字羽根、字藤波、字藤ノ瀬、字宇加塚、字鶴町、字曽又、字真脇、字姫、字大沢、字羽生、字小浦[2]
卒業生は基本的に能登町立能都中学校に進学する。
周辺
[編集]・のと郵便局
・公立宇出津総合病院
・能登町役場
・コンセールのと
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “令和6年能登半島地震による被害等の状況等について(教育委員会)”. 石川県 (2024年1月13日). 2024年1月13日閲覧。
- ^ 能登町立学校の通学区域に関する規則 別表(第3条関係)