脇村春夫
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京府小石川区(現:東京都文京区) |
生年月日 | 1932年1月15日(92歳) |
選手情報 | |
ポジション | 内野手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
野球殿堂(日本) | |
選出年 | 2019年 |
選出方法 | 特別表彰 |
この表について
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脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は、日本の実業家、元アマチュア野球選手[1]。第5代日本高等学校野球連盟会長(2002年11月 - 2008年11月)[1]。現在は、公益財団法人脇村奨学会代表理事。博士(経済学)(大阪大学)。
脇村禮次郎と祐子(正田貞一郎の三女)との子として東京府小石川区(現:東京都文京区)に生まれる。祖父は田辺市名誉市民・脇村市太郎、正田貞一郎。おじに経済学者・脇村義太郎、鉱物学者・正田篤五郎、数学者・正田建次郎がいる。上皇后美智子の従兄にあたる[1]。
学歴・職歴
[編集]- 1951年3月 神奈川県立湘南高等学校卒業
- 1955年
- 1993年6月 同社専務取締役退任
- 1995年6月 新興産業株式会社取締役社長就任
- 1998年6月 同社取締役社長退任
- 2005年9月 大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士論文題目「日本の短繊維織物産地における大手機業経営(「産地大経営」)の戦後の展開-事例研究による発展要因、持続要因、廃業要因-」。
球歴
[編集]- 1949年8月 第31回全国高等学校野球選手権大会に湘南高校2年生三塁手として出場、初出場、初優勝(全国制覇)[1]。1学年後輩に佐々木信也がいた。
- 1952年4月 東京大学野球部三塁手として東京六大学リーグ戦に出場。
- 1954年4月 東京大学野球部主将を務める。リーグ通算82試合出場、267打数48安打、打率.180、0本塁打、10打点。
- 1955年8月 第26回都市対抗野球大会に東洋紡富田(四日市市)の三塁手で出場、準々決勝進出。
- 1956年 東洋紡岩国に移り、社会人野球通算3年プレイ。
- 2002年11月-2008年 日本高等学校野球連盟会長[1]。
- 2019年1月 野球殿堂顕彰者に選出される[1]。
- 2019年8月16日 第101回全国高等学校野球選手権大会開催中の阪神甲子園球場に於いて、第2試合開始前に野球殿堂表彰式が執り行われた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “高野連元会長の脇村氏が殿堂入り「誕生日にまさか」”. 日刊スポーツ. (2019年1月15日) 2019年1月19日閲覧。
- ^ “野球殿堂入りの元日本高野連会長・脇村さんを表彰:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2019年8月16日閲覧。