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外岡 茂十郎(とのおか もじゅうろう、1898年3月25日 - 1986年8月27日)は、日本の法学者。学位は法学博士。静岡県出身。
静岡県賀茂郡三坂村(現在の賀茂郡南伊豆町)入間に生まれる。賀茂郡立中学豆陽学校から早稲田大学に進学し、1925年に早稲田大学教授に就任。
1942年から1964年まで早稲田大学野球部部長を務める。あわせて東京六大学野球連盟理事長も務め、1943年には出陣学徒壮行早慶戦を敢行している[1]。
戦後はオール早慶戦の開催、1946年春の六大学野球再開を実現させ、12月に日本学生野球協会が結成されると副会長として30年間アマチュア野球の発展に尽力した[1]。
その後は中京大学へと移り、1966年の同大学法学部の開設に関わり、1975年まで法学部長を務めた。
1966年に藍綬褒章を、1970年に勲三等旭日中綬章をそれぞれ受章。1974年に「明治前期家族法資料」で日本学士院賞を受賞。1982年に野球殿堂入り。1986年8月27日に88歳で死去した。
2008年に出陣学徒壮行早慶戦を映画化した『ラストゲーム 最後の早慶戦』では、彼をモデルとした外岡太一郎なる人物が登場し、宮川一朗太[2] が演じた。
- ^ a b 『野球殿堂 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012年、ベースボール・マガジン社)、P.69
- ^ 宮川も、早大第一文学部を中退している。
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競技者表彰 |
1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 |
- 90 真田重蔵, 張本勲
- 91 牧野茂, 筒井修, 島岡吉郎
- 92 廣岡達朗, 坪内道則, 吉田義男
- 93 稲尾和久, 村山実
- 94 王貞治, 与那嶺要
- 95 杉浦忠, 石井藤吉郎
- 96 藤田元司, 衣笠祥雄
- 97 大杉勝男
- 99 中西太, 広瀬叔功, 古葉竹識, 近藤貞雄
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2000年代 | |
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プレーヤー |
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エキスパート |
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特別表彰 |
1950年代 | |
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1960年代 |
- 60 飛田忠順, 河野安通志, 桜井彌一郎
- 62 市岡忠男
- 64 宮原清
- 65 井上登, 宮武三郎, 景浦將
- 66 守山恒太郎
- 67 腰本寿
- 68 鈴木惣太郎, 田邊宗英, 小林一三
- 69 三宅大輔, 田部武雄, 森岡二朗, 島田善介, 有馬頼寧
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1970年代 |
- 70 田村駒治郎, 直木松太郎, 中馬庚
- 71 小西得郎, 水野利八
- 72 中野武二, 太田茂
- 73 内海弘蔵, 天野貞祐, 広瀬謙三
- 74 野田誠三
- 76 小泉信三
- 77 森茂雄, 西村幸生
- 78 伊丹安広, 吉原正喜, 岡田源三郎
- 79 平沼亮三, 谷口五郎
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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新世紀 |
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