良岑晨直
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 晨真 |
官位 | 従四位下・左中弁 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 良岑氏 |
父母 | 父:良岑安世 |
兄弟 | 木蓮、長松、清風、宗貞(遍昭)、高行、遠視、晨直、晨省、晨茂、行振 |
妻 | 丹波氏または丹治氏娘 |
子 | 衆樹(次男)、善樹 |
良岑 晨直(よしみね の ときなお)は、平安時代前期の貴族。名は晨真とも記される。大納言・良岑安世の子。官位は従四位下・左中弁。
経歴
[編集]清和朝前半に左衛門大尉を務め、貞観9年(867年)従五位下に叙爵し、翌貞観10年(868年)掃部頭に任ぜられる。
陽成朝以降は内蔵寮の官人を務め、内蔵権頭の官職にあった元慶5年(881年)4月の賀茂祭で社に対して祝詞の宣旨を行い[1]、12月の陽成天皇の元服に際しては水尾陵(清和天皇陵)に派遣されその報告を行っている[2]。
その後、位階は従四位下に至り、光孝朝の仁和3年(887年)内蔵頭に昇格している。また、時期は不明ながら左中弁を務めた。
官歴
[編集]『日本三代実録』による。
- 貞観6年(864年) 正月:蔵人[3]
- 時期不詳:正六位上。左衛門大尉
- 貞観9年(867年) 正月7日:従五位下
- 貞観10年(868年) 2月17日:掃部頭
- 時期不詳:従五位上
- 元慶5年(881年) 4月20日:見内蔵権頭兼讃岐介
- 時期不詳:従四位下
- 仁和3年(887年) 8月22日:内蔵頭
- 時期不詳:左中弁[4]