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花岡菊子

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はなおか きくこ
花岡 菊子
花岡 菊子
1933年の写真(『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』)
本名 瀧川 幾代 (出生名)
松崎 幾代 (婚姻後)
生年月日 (1910-09-11) 1910年9月11日
没年月日 (1984-06-12) 1984年6月12日(73歳没)
出生地 日本の旗 日本 静岡県静岡市寺町(現在の同市葵区駿河町
身長 152.4 cm
職業 俳優
ジャンル 劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1928年 - 1982年
配偶者 結城一朗
主な作品
残菊物語』(1939年)
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花岡 菊子(はなおか きくこ、1910年9月11日 - 1984年6月12日)は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11]。出生名は瀧川 幾代(たきがわ いくよ)、結婚後本名は松崎 幾代(まつざき いくよ)[2][3][7]。1920年代末の松竹蒲田撮影所の喜劇女優として知られ、戦後は新東宝に所属、脇役俳優として映画に多く出演した[2][3]

人物・来歴

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松竹キネマの時代

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1910年明治43年)9月11日静岡県静岡市寺町(現在の同県同市葵区駿河町)に生まれる[2][3][7]。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』(蒲田雑誌社)には「1911年9月1日出生」との旨の記述がみられる[1]

旧制小学校卒業後、旧制・静岡精華高等女学校(現在の静岡大成高等学校)に進学、1928年(昭和3年)3月、同校を卒業する[1][2][3]。東京に移り、同年10月1日付で松竹蒲田撮影所に入社、同年11月25日に公開されたサイレント映画飛行機花婿』(監督佐々木恒次郎)で映画界にデビューした[1][2][3]。同作で主演した斎藤達雄とはコンビとなり、同じ佐々木恒次郎監督による『珍客往来』(1929年)や『裏町の大将』(同年)、清水宏監督による『村の王者』等に主演、多くのコメディ映画に出演した[2][3]

1929年(昭和4年)1月、大幹部に鈴木伝明、幹部に岡田時彦高田稔結城一朗、斎藤達雄、龍田静枝筑波雪子が昇進したときに、山内光浪花友子青山万里子及川道子川崎弘子谷崎龍子とともに、満18歳で準幹部に昇進した[12]。同年8月1日に公開された清水宏監督の『陽気な唄』に助演、記録の上では、同作で初めて結城一朗と共演したことになる[4][5]。1930年(昭和5年)1月26日に公開された西尾佳雄監督の『スポーツ精神』、同年2月8日に公開された佐々木恒次郎監督の『黒百合の花』、同年2月22日に公開された清水宏監督の『紅唇罪あり』と立て続けに結城とともに主演、ないしは恋人役を演じた[2][4][5]。1933年(昭和8年)8月24日に公開された清水宏監督の『旅寝の夢』に助演したのを最後に、松竹下加茂撮影所へ異動、時代劇に転向した[4][5]

1935年(昭和10年)初頭、結城も追って下加茂に異動になり、同年6月27日に公開された衣笠貞之助監督の『雪之丞変化 第一篇』で、数年ぶりに共演している[4][5][13]。翌1936年(昭和11年)9月に、6歳上の俳優・結城一朗(本名松崎龍雄、1904年 - 1988年)と結婚、その後、2男1女をもうけた[2][3][14]。1941年(昭和16年)には、夫婦ともども、松竹を退社した[4][5][14]

東宝争議を経て新東宝へ

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1年ほどのブランクを経て、東京の東宝映画(現在の東宝)に移籍、1943年(昭和18年)1月3日に公開された滝沢英輔監督の『伊那の勘太郎』に出演している[4][5]。以降、第二次世界大戦終結後も、東宝に所属した[4][5][7][9]。終戦直後の1945年(昭和20年)12月、東宝の高勢実乗の一座に加わり、吉本興業直営の京都のヤサカ劇場で、舞台実演『花嫁入来』に出演した記録が残っている[15]

1947年(昭和22年)3月、東宝争議から生まれた新東宝映画製作所(のちの新東宝)に参加、同年5月6日に公開された、同じく新東宝に参加した萩原遼監督の『大江戸の鬼』や、同年6月10日に公開された、同じく斎藤寅次郎監督の『見たり聞いたりためしたり』に出演する[4][5]。以降、同社が倒産するまで、同社に所属して脇役俳優を続けた[4][5]。その後は、『特別機動捜査隊』等、映画会社が製作するテレビ映画にも多く出演した[10]

満69歳を迎えた1979年(昭和54年)、マツダ映画社が製作した『地獄の蟲』(監督山田達雄)に夫婦ともども出演し、戦前以来の映画共演となった[4][5][16]

1984年(昭和59年)6月12日、死去した[2][3]。満73歳没。夫の結城は、1988年(昭和63年)9月15日、満84歳で死去した[17]

フィルモグラフィ

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白木屋の広告(1929年)、左から辻英子花岡(満18歳)、宝光子
靑春の夢いまいづこ』(1932年)出演時、満22歳。左から花岡江川宇礼雄
生さぬ仲』(1932年)出演時、満22歳。左から花岡阿部正三郎

すべてクレジットは「出演」である[4][5]。公開日の右側には役名[4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[11][18]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

松竹蒲田撮影所

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特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、特筆以外すべてサイレント映画である[4][5]

松竹下加茂撮影所

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雪之丞変化 第一篇』(1935年)のポスター。共演した結城一朗と翌年結婚している。

特筆以外すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」(のちに松竹)、特筆以外すべてトーキーである[4][5]

東宝

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特筆以外すべて製作・配給は「東宝」、以降すべてトーキーである[4][5][7]

  • 伊那の勘太郎』(『伊那節仁義 「伊那の勘太郎」より』[11]) : 監督滝沢英輔、製作東宝映画、配給映画配給社、1943年1月3日公開 - 鳶屋おふさ、63分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 名人長次彫』 : 監督萩原遼、製作東宝映画、配給映画配給社、1943年7月15日公開 - およね
  • 愉しき哉人生[11](『楽しき哉人生』[4]) : 監督成瀬巳喜男、製作東宝、配給映画配給社、1944年1月27日公開 - 妻・よね、72分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 芝居道』 : 監督成瀬巳喜男、製作東宝、配給映画配給社、1944年5月11日公開 - 豊沢春昇、82分尺で現存(NFC所蔵[21]
  • 人生とんぼ返り』 : 監督今井正、1946年6月27日公開 - 役名不明、80分尺で現存(NFC所蔵[22]
  • 或る夜の殿様』 : 監督衣笠貞之助、1946年7月11日公開 - おきく、112分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 霧の夜ばなし』 : 監督萩原遼、1946年9月10日公開 - 菊香、70分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 愛の宣言[5][7](『愛の宣書』[4]) : 監督渡辺邦男、1946年12月31日公開 - バーのマダム

新東宝

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女競輪王』(1956年)のポスター。
四谷怪談』(1956年)のポスター。

特筆以外すべて製作・配給は「新東宝」である[4][5][7]

  • 桃の花の咲く下で』 : 監督清水宏、1951年3月24日公開 - 隣室の内儀、73分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 銀座化粧』 : 監督成瀬巳喜男、製作伊藤プロダクション(伊藤基彦)、配給新東宝、1951年4月14日公開 - 役名不明、87分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 無国籍者』 : 監督市川崑、製作昭映プロダクション・東横映画、配給東映、1951年4月14日公開 - キヨ・ホテルの女
  • 無宿猫』 : 監督志村敏夫、1951年6月29日公開 - 松崎つる
  • 夜の未亡人』 : 監督島耕二、1951年7月20日公開 - 女給君子
  • 月よりの母』 : 監督阿部豊、1951年8月24日公開 - 八重
  • さすらいの旅路[11](『さすらいの航路』[4]) : 監督中川信夫、1951年11月9日公開 - 木村やす子、82分尺で現存(NFC所蔵[11]
  • 芸者ワルツ』 : 監督渡辺邦男、1952年10月2日公開 - 六郷とし
  • 競艶お役者変化』 : 監督加戸野五郎、1960年1月9日公開 - お新
  • 危険な誘惑』 : 監督小林悟、製作富士映画、配給新東宝、1960年1月23日公開 - 厚生施設園長
  • 美男買います』 : 監督曲谷守平、製作富士映画、配給新東宝、1960年2月21日公開 - 伊藤千代
  • 爆発娘罷り通る』 : 監督近江俊郎、製作富士映画、配給新東宝、1960年5月17日公開 - 赫子の母
  • 続々べらんめえ芸者』(『続続べらんめぇ芸者』[6]) : 監督小石栄一、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年8月7日公開 - 踊りの師匠
  • 風流深川唄』 : 監督山村聡、製作東映東京撮影所、配給東映、1960年9月13日公開 - お久
  • 裸の谷間』 : 監督小林悟、製作富士映画、配給新東宝、1960年9月17日公開 - もと後家
  • 弥次喜多珍道中 中仙道の巻』 : 監督近江俊郎、製作富士映画、配給新東宝、1960年12月9日公開 - 庄屋の妻
  • 暴力五人娘』 : 監督曲谷守平、1960年12月27日公開 - 保坂学長

フリーランス

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下記の通りである[4][5][7]テレビ映画も含む[10]

脚注

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  1. ^ a b c d 蒲田[1933], p.10.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 花岡菊子jlogos.com, エア、2013年2月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 花岡菊子コトバンク、2013年2月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 花岡菊子日本映画データベース、2013年2月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 花岡菊子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月18日閲覧。
  6. ^ a b c d 花岡菊子、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月18日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 花岡菊子KINENOTE, 2013年2月18日閲覧。
  8. ^ a b 花岡菊子日活データベース、2013年2月18日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 花岡菊子、映画データベース、東宝、2013年2月18日閲覧。
  10. ^ a b c 花岡菊子テレビドラマデータベース、2013年2月18日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg 花岡菊子東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月18日閲覧。
  12. ^ 松竹[1964], p.265.
  13. ^ 雪之丞変化 第一篇、日本映画データベース、2013年2月18日閲覧。
  14. ^ a b キネマ旬報社[1979], p.622.
  15. ^ 国立劇場[2003], p.234.
  16. ^ 結城一朗 - 日本映画データベース、2013年2月18日閲覧。
  17. ^ 結城一朗jlogos.com, エア、2013年2月18日閲覧。
  18. ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年2月18日閲覧。
  19. ^ 與太者と藝者、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月21日閲覧。
  20. ^ 殘菊物語、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月18日閲覧。
  21. ^ 芝居道、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月21日閲覧。
  22. ^ 人生とんぼ返り、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月18日閲覧。
  23. ^ 明治天皇と日露大戦争、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月18日閲覧。

参考文献

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  • 『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』、『蒲田』第12巻第5号別冊付録、蒲田雑誌社、1933年5月1日
  • 『松竹七十年史』、松竹、1964年
  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
  • 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年12月31日
  • 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133
  • 『近代歌舞伎年表 京都篇』、国立劇場近代歌舞伎年表編纂室、八木書店、2003年 ISBN 4840692319

関連項目

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外部リンク

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