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若ノ里雄三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若ノ里 雄三(わかのさと ゆうぞう、1932年3月20日 - 1983年4月29日)は、二所ノ関部屋芝田山部屋花籠部屋に所属した力士。現役を退いた後は世話人として相撲協会に在職した。本名は山口 雄三(やまぐち ゆうぞう)。北海道旭川市出身。身長167cm、体重75kg。最高位は東十両5枚目。得意技は左四つ、寄り[1]

経歴

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1951年9月場所に初土俵。1955年9月場所に十両昇進。新十両の場所は5勝10敗と負け越し、1場所で幕下に陥落。1956年3月場所に十両に復帰すると、それ以降は十両に定着する。1957年3月場所には自己最高位となる東十両5枚目まで番付を上げた。しかし、その場所を6勝9敗と負け越すと徐々に成績が下降し、1958年7月場所に再び幕下に陥落した。1959年5月場所に力士を廃業し、世話人に転じた。在職中の1983年4月29日に死去。51歳没。軽量ではあったが多彩な技を持っており、内掛けなどの足癖を得意としていた。また、頭捻り外小股といった珍しい決まり手で勝ったこともあった[2][3]

主な成績

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  • 通算成績:168勝175敗8休 勝率.490
  • 十両成績:80勝100敗 勝率.444
  • 現役在位:34場所
  • 十両在位:12場所

場所別成績

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若ノ里 雄三
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1951年
(昭和26年)
x x x x 新序
3–0 
x
1952年
(昭和27年)
西序二段17枚目
6–2 
x 東三段目36枚目
6–2 
x 西三段目17枚目
4–4 
x
1953年
(昭和28年)
東三段目15枚目
4–4 
東三段目13枚目
5–3 
東三段目3枚目
5–3 
x 東幕下39枚目
6–2 
x
1954年
(昭和29年)
西幕下29枚目
3–5 
東幕下32枚目
5–3 
西幕下22枚目
6–2 
x 西幕下13枚目
5–3 
x
1955年
(昭和30年)
東幕下7枚目
6–2 
西幕下筆頭
3–5 
東幕下5枚目
6–2 
x 西十両22枚目
5–10 
x
1956年
(昭和31年)
西幕下3枚目
5–3 
西十両23枚目
9–6 
西十両17枚目
7–8 
x 西十両19枚目
9–6 
x
1957年
(昭和32年)
西十両11枚目
11–4 
東十両5枚目
6–9 
西十両8枚目
5–10 
x 東十両13枚目
8–7 
東十両10枚目
4–11 
1958年
(昭和33年)
西十両17枚目
8–7 
西十両16枚目
6–9 
東十両22枚目
2–13 
東幕下6枚目
1–7 
東幕下22枚目
3–5 
西幕下28枚目
3–5 
1959年
(昭和34年)
東幕下32枚目
1–7 
西幕下51枚目
2–6 
西幕下68枚目
引退
0–0–8
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

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  • 若ノ里 雄三(わかのさと ゆうぞう)1951年9月場所 - 1957年11月場所
  • 若乃里 雄三(わかのさと ゆうぞう)1958年1月場所 - 1958年5月場所
  • 山乃口 雄三(やまのくち ゆうぞう)1958年7月場所 - 1959年5月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

出典

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関連項目

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外部リンク

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