荒木義行
荒木 義行 あらき よしゆき | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1958年7月22日(66歳) |
出生地 | 日本 熊本県 |
出身校 |
熊本県立菊池高等学校 専修大学法学部(中退) |
前職 |
警視庁警察官 魚住汎英参議院議員秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2010年4月2日 - 現職 |
熊本県議会議員 | |
選挙区 |
(菊池郡選挙区→) 合志市選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1995年 - 2007年 |
荒木 義行(あらき よしゆき、1958年〈昭和33年〉7月22日[1] - )は、日本の政治家。熊本県合志市長(4期)。元熊本県議会議員(4期)。
概要
[編集]熊本県出身。熊本県立菊池高等学校卒業後、専修大学法学部に入学。1977年10月、警視庁に入庁し、大学は1980年に中退した[2]。1986年に退官し、魚住汎英参議院議員の秘書を務める[3]。
1995年、熊本県議会議員選挙に出馬し、初当選した。県議時代は自由民主党に所属した。
2007年4月の県議選で4期目の当選を果たす。同年5月28日、かねてから事務所費の架空計上問題で追及を受けていた松岡利勝衆議院議員が、農林水産大臣在職のまま自殺[4]。松岡の自殺により、7月29日投開票の熊本3区補欠選挙に松岡の後援会から要請を受け、無所属で立候補した[5]が、同じく無所属で出馬した前職の坂本哲志(2005年の第44回衆議院議員総選挙で自民党公認を得られず、無所属で出馬し、松岡に敗北した)に敗れ、次点で落選した[6]。
2010年、合志市長選挙に無所属で出馬し、現職の大住清昭を破り初当選した(荒木:13,776票、大住:12,332票。投票率は62.19%)。4月2日、合志市長に就任[7]。
2014年、無投票で再選。2018年、無投票で3選。2022年、無投票で4選。
市政
[編集]- DHCとの協定解消
2017年(平成29年)8月、合志市は「市民の健康増進や地域産業の活性化」を目的として包括連携協定をDHCと締結した[8]。
その後、DHCは2020年(令和2年)11月、吉田嘉明会長名で在日韓国・朝鮮人に対する偏見に満ちた差別、蔑視発言を同社の公式ウェブサイトに掲載。2021年(令和3年)4月9日、DHCはさらに吉田の差別発言を掲載。吉田は「NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系」「NHKは日本の敵」と述べた[9]。
同年同月、荒木は協定凍結をDHCに伝えた。「文章は人種差別にあたる。何も対応しないままでは、会長のメッセージを容認していると捉えられかねず、市民の理解も得られないと判断した」と市は述べている[10]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、418頁。
- ^ 市長プロフィール / 合志市ホームページ
- ^ “魚住参院議員、不出馬を表明”. 朝日新聞. (2007年7月11日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “松岡農水相が自殺 議員宿舎で首つる”. 朝日新聞. (2007年5月28日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “坂本・荒木両陣営、事務所を開設 衆院3区補選”. 朝日新聞. (2007年6月24日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ “衆院補選、熊本3区は坂本氏が当確”. 四国新聞. (2007年7月29日) 2016年5月3日閲覧。
- ^ 熊本県 - 市町村長・議員の任期満了日等に関する調べ
- ^ “DHC会長の在日コリアン差別、協定解消の自治体も。「容認できない」「社会的影響大きい」全21市町に独自調査”. BuzzFeed Japan. (2021年5月6日) 2021年5月27日閲覧。
- ^ “DHC会長名でまた差別的表現 公式サイトに”. 朝日新聞. (2021年4月10日) 2021年5月4日閲覧。
- ^ 吉沢英将、小林直子、藤野隆晃 (2021年5月24日). “DHC文書、自治体「人種差別」協定解消も 割れる対応”. 朝日新聞 2021年5月27日閲覧。
外部リンク
[編集]- 熊本県合志市長 荒木 義行 (@ArakiYoshiyuki) - X(旧Twitter)
- 市長室 / 合志市ホームページ
公職 | ||
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先代 大住清昭 |
熊本県合志市長 第2代:2010年 - |
次代 (現職) |