荻晃太
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | オギ | |||||
カタカナ | オギ コウタ | |||||
ラテン文字 | OGI Kota | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年5月5日(41歳) | |||||
出身地 | 岐阜県美濃市[1] | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足[2][3] | |||||
ユース | ||||||
1999-2001 | 岐阜工業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2010 | ヴィッセル神戸 | 46 | (0) | |||
2007 | → 大宮アルディージャ (loan) | 0 | (0) | |||
2008 | → FC東京 (loan) | 0 | (0) | |||
2009-2015 | ヴァンフォーレ甲府 | 188 | (0) | |||
2016-2017 | 名古屋グランパス | 0 | (0) | |||
2018-2019 | ヴィッセル神戸 | 0 | (0) | |||
通算 | 234 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
荻 晃太(おぎ こうた、1983年5月5日 - )は、岐阜県美濃市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(GK)。
来歴
[編集]小学校4年生(10歳[3])の時にサッカーを始める[4][5]。中学生の頃からGKに専念するようになった[5]。1999年に岐阜工業高校に進学し、3年時の全国高校選手権では準優勝を果たした[6][7]。同期は片桐淳至[7]、岩田卓也など[8]。
2002年にヴィッセル神戸に入団。掛川誠が正GKを務めており、しばらく出場機会に恵まれなかったが、チームのJ2降格が決定した2005年J1最終節にリーグ戦初出場[2]。掛川が退団した2006年から正GKに抜擢され、スチュワート・バクスター監督がリベロのようだと評した守備範囲の広さを武器に[2][注 1]活躍。プロ5年目にしてA契約に移行した[11]。同年の福岡とのJ1・J2入れ替え戦ではチームを救う好セーブを連発し[4]J1昇格に貢献した[2]。
2007年は新加入の榎本達也にポジションを奪われ[4]、シーズン途中に大宮アルディージャにレンタル移籍するが[12]、江角浩司からレギュラーを奪えず天皇杯1試合の出場に留まった。2008年にはFC東京にレンタル移籍[13][14]。正GK塩田仁史の控えとしてリーグ戦全34試合全てでベンチ入りし[15]、チームをバックアップ。ナビスコカップ第6節「東京ダービー」ではスタメン起用され勝利に貢献した。
2009年はヴァンフォーレ甲府へ3チーム目のレンタル移籍[16]。神戸時代にチームメイトだった阿部謙作から正GKと背番号1を奪うとDFダニエルらと共に守備を立て直し、シーズン通しての失点数を仙台に次ぐ2番目の少なさに抑え、チームのJ1昇格争いの立役者となった。2010年もレンタル期間を延長。甲府のJ1昇格に貢献し、2011年から完全移籍した[1][17]。同年は6年ぶりにJ1の舞台に立ったが、チームの不振と自身の負傷から、シーズン後半は荒谷弘樹にポジションを譲った[18]。結局、17位に終わり1年でJ2へ逆戻りとなった。荒谷が引退した2012年は開幕から正GKを務め、安定感を高めて[19] J2新記録となる24試合無敗の立役者となり、1年でのJ1復帰に貢献した。同年11月15日、モデルで女優の長井梨紗と結婚した。2013年は開幕直後こそ正GKを務めるも、第3節名古屋戦でのファンブルによる決勝点献上[20] や、並行開催のカップ戦で河田晃兵が上々のプレーを見せたこともあって、序盤は控えに配される試合が続いた[21]。シーズン中盤より再び出場機会を得たものの、終盤は再び河田に定位置を譲り[22]、この年は17試合の出場に留まった。2014年は序盤岡大生に先発を譲り欠場が続くも、中断期間前最後の試合となった第14節柏戦で完封勝利を果たすとその後はレギュラーの座を奪い返し、通年では23試合出場19失点[23] という堅守を築き、クラブ史上最高位での2年連続J1残留に貢献した。
2015年はシーズン序盤はレギュラーを勤めていたが、シーズン中盤に同年より完全移籍に移行した河田の控えに回る。シーズン終了後に名古屋へ移籍。その人柄からサポーターに愛され、甲府退団時には多くのサポーターが涙した。 2016年5月9日、第1子の男児が誕生[24]。 名古屋では楢﨑正剛が不動の正GKとして君臨しており、第2GKにも武田洋平がおり天皇杯1試合のみの出場に終わった。
2018年、10年半ぶりにヴィッセル神戸へ復帰[25]。しかし、韓国代表のキム・スンギュが同時期に加入したこともあり出場機会は無かった。キムは翌年のシーズン中に古巣の蔚山現代FCに復帰したが、入れ替わりで飯倉大樹が加入し、若手の前川黛也の台頭もありまたしても出場機会無しに終わった。
2019年、ヴィッセル神戸との契約が満了[26]、同年限りで引退し、2020年より北本久仁衛、大屋翼と共にヴィッセル神戸のスクールコーチに就任した[27]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1993年 - 1995年 美濃サッカー少年団[1] (美濃市立中有知小学校)[4]
- 1996年 - 1998年 岐阜バーモス[1] (美濃市立美濃中学校)[4]
- 1999年 - 2001年 岐阜県立岐阜工業高等学校
- プロ経歴
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 神戸 | 29 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
2003 | 27 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2005 | 34 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2006 | J2 | 45 | 0 | - | 0 | 0 | 45 | 0 | |||
2007 | 21 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | ||
大宮 | 35 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
2008 | FC東京 | 31 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2009 | 甲府 | 1 | J2 | 44 | 0 | - | 0 | 0 | 44 | 0 | |
2010 | 28 | 0 | - | 0 | 0 | 28 | 0 | ||||
2011 | J1 | 23 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
2012 | J2 | 42 | 0 | - | 0 | 0 | 42 | 0 | |||
2013 | J1 | 17 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 21 | 0 | ||
2014 | 23 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 29 | 0 | |||
2015 | 11 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |||
2016 | 名古屋 | 28 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
2017 | 22 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2018 | 神戸 | 29 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2019 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J1 | 75 | 0 | 14 | 0 | 8 | 0 | 97 | 0 | |
日本 | J2 | 159 | 0 | - | 0 | 0 | 159 | 0 | |||
総通算 | 234 | 0 | 14 | 0 | 8 | 0 | 256 | 0 |
- その他の公式戦
- 2006年
- J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 出場歴
- 2002年12月15日 公式戦初出場 - 第82回天皇杯 vs 川崎フロンターレ (神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)
- 2005年12月3日 Jリーグ初出場 - J1第34節 vs ジュビロ磐田 (ヤマハ)
- 2010年5月5日 Jリーグ通算100試合出場 - J2第11節 vs 柏レイソル (山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場)
- 2013年10月19日 Jリーグ通算200試合出場 - J1第29節 vs 柏レイソル (日立柏サッカー場)
代表・選抜歴
[編集]- 2000年 U-17ユース選抜 [14]
指導歴
[編集]- 2020年 - ヴィッセル神戸
- 2020年 スクールコーチ
- 2021年 - 2023年 U-15 GKコーチ
- 2024年 - 同年4月 トップチーム アシスタントGKコーチ
- 2024年4月 - U-12GKコーチ/GK巡回コーチ
CM
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e GK荻晃太選手 ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍のお知らせ ヴィッセル神戸 (2010年12月30日)
- ^ a b c d 選手データベース 荻晃太 - ウェイバックマシン(2010年1月10日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
- ^ a b 『Jリーグ選手名鑑 2014J1・J2・J3エルゴラッソ特別編集』三栄書房、2014年、88頁。
- ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2008』毎日新聞社、2008年、57頁。
- ^ a b 最後尾から攻撃組み立て 朝日新聞デジタル (2013年3月2日)
- ^ 【第80回全国高校サッカー選手権大会】試合スコア速報 スポーツナビ (2002年1月8日)
- ^ a b 片桐と荻、Jのピッチで岐阜工「同窓対決」が実現 - ウェイバックマシン(2009年4月3日アーカイブ分) 岐阜新聞 (2009年03月16日)
- ^ 岐阜県代表 県立 岐阜工 (2年ぶり17回目) スポーツナビ
- ^ GK荻 きょう東京デビュー 東京中日スポーツ (2008.06.08)
- ^ 【ヤマザキナビスコカップ 東京V vs FC東京】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2008.06.08)
- ^ GK荻晃太選手、プロA契約「900分以上」出場達成! - ウェイバックマシン(2006年9月9日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2006年4月17日)
- ^ 荻晃太選手、大宮アルディージャへ期限付き移籍決定 - ウェイバックマシン(2007年10月24日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2007年8月28日)
- ^ GK荻晃太選手、FC東京へ期限付き移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年12月30日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2007年12月29日)
- ^ a b 荻 晃太選手 期限付移籍加入決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年12月30日アーカイブ分) FC東京 (2007年12月29日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2008年12月6日)
- ^ 荻晃太選手 ヴィッセル神戸より期限付き移籍加入 - ウェイバックマシン(2011年10月28日アーカイブ分) ヴァンフォーレ甲府 (2009年1月7日)
- ^ 荻晃太選手 ヴィッセル神戸より完全移籍加入のお知らせ - ウェイバックマシン(2011年10月28日アーカイブ分) ヴァンフォーレ甲府 (2010年12月30日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2011年12月3日)
- ^ 【J2:第30節 甲府 vs 山形】レポート J's GOAL (2012年8月23日)
- ^ 心を切り替え日々努力 朝日新聞デジタル (2013年4月4日)
- ^ 選手出場記録 (1/2) Jリーグ (2013年12月7日)
- ^ 選手出場記録 (2/2) Jリーグ (2013年12月7日)
- ^ 2014年J1 年間ベストイレブン Football LAB (2014年12月19日)
- ^ “「純と愛」女優・長井梨紗が第1子長男出産 夫はJリーガー”. 日刊スポーツ. (2016年5月18日) 2016年5月18日閲覧。
- ^ 『名古屋グランパスよりGK荻晃太選手 完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2017年12月25日 。2017年12月25日閲覧。
- ^ GK荻晃太選手 契約満了のお知らせ
- ^ 北本久仁衛氏、荻晃太氏、大屋翼氏 スクールコーチ就任のお知らせ
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 荻晃太 - Soccerway.com
- 荻晃太 - FootballDatabase.eu
- 荻晃太 - WorldFootball.net
- 荻晃太 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 荻晃太 - J.League Data Siteによる選手データ
- 突撃! フリー聞っく!! (1/2) - ウェイバックマシン(2010年8月9日アーカイブ分) - 甲府市 (2009年4月22日)
- 同上 (2/2) - ウェイバックマシン(2010年9月1日アーカイブ分)
- プロフィール (2007年版) - ウェイバックマシン(2008年10月30日アーカイブ分) - ヴィッセル神戸
- プロフィール (2008年版) - ウェイバックマシン(2008年12月5日アーカイブ分) - FC東京