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萩原康

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
萩原 康
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県
生年月日 (1969-07-26) 1969年7月26日(55歳)
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

萩原 康(はぎはら やすし、1969年7月26日 - )は、神奈川県出身の元社会人野球選手投手)・コーチ。左投左打。

1990年代から2000年代にかけて、たくぎんシダックスで活躍。引退後は大学野球の指導にも携わった。

経歴

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神奈川県出身。桐蔭学園では同期の大久保秀昭とバッテリーを組み、小桧山雅仁とともに左右の両エースとして活躍。1986年秋季県大会は準々決勝で横浜商に敗退。翌1987年春季関東大会では準決勝に進み先発、関東一高と延長11回の熱戦の末に0-1で敗れる。同年夏の甲子園県大会は準々決勝でまたも横浜商に延長10回敗退。

1988年に卒業後、法政大学に進む。東京六大学野球リーグでは在学中、2年上にエース葛西稔らがおり、リーグ戦4連覇中3回の優勝を経験したが、1989年の2年秋、平田国久投手や主軸に黒須陽一郎や3年山口高誉擁する立教に久々の優勝をさらわれ5連覇が果たせず、1990年の3年秋にも高橋一太郎投手、山口、溝口智成ら擁する立教との優勝決定戦に敗れるなど2年秋から4年次にかけて優勝に届かなかった。1991年の4年次には小檜山・大久保がいた慶應に連覇を許した。1990年秋季リーグでは優勝決定戦で敗れたもののベストナインに選出される。1991年には日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、斎藤隆金本知憲町田公二郎らと日本の優勝に貢献した。リーグ通算45試合登板、22勝11敗、234奪三振、防御率1.88。大学同期に投の二本柱であった高村祐諸積兼司がいる。

その後たくぎんに入行、都市対抗などで活躍する。全日本代表に選出され国際大会にも出場。休部により1996年シダックスへ移籍。1999年日本選手権では決勝で先発、松下電器を抑え初優勝に大きく貢献した。現役引退後は野村克也監督のもとで投手コーチを経験。チーム解散後は桐蔭横浜大学でコーチ、助監督を務めた。

エピソード

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  • 高校時代は小桧山雅仁、大学時代は高村祐投手が同期であり、後に2人ともドラフト1位でプロ野球に入団する。
  • 高校時代は打撃成績も優秀で、先発登板で無い場合には三番打者、一塁手で先発出場していた。
  • 桐蔭横浜大学では東明大貴横山弘樹齋藤友貴哉らの投手を指導した。

キャリア・主なタイトル

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日本代表キャリア

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  • 第20回日米大学野球日本代表
  • キューバ国際親善大会日本代表

関連項目

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外部リンク

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