蒲郡市立大塚小学校
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蒲郡市立大塚小学校 | |
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北緯34度48分50.67秒 東経137度17分22.44秒 / 北緯34.8140750度 東経137.2895667度座標: 北緯34度48分50.67秒 東経137度17分22.44秒 / 北緯34.8140750度 東経137.2895667度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 蒲郡市 |
校訓 | 明るく伸びる 正しく進む たくましく生きる |
設立年月日 | 1873年(明治6年)3月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210006542 |
所在地 | 〒443-0013 |
愛知県蒲郡市大塚町大門42番地5 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
蒲郡市立大塚小学校(がまごおりしりつ おおつかしょうがっこう)は、愛知県蒲郡市大塚町大門にある公立小学校。
概要
[編集]- 「大塚小」(おおつかしょう)または「塚小」(つかしょう)とも呼ばれる。
- 校訓は「明るく伸びる 正しく進む たくましく生きる」。
- 校章は1907年1月に制定され、大塚小の「大」の文字とサクラの花を図案化された由緒あるものである。
- 校舎北側を東海道新幹線が通過するため、廊下側(北側)が防音のため二重ガラスになっている。
- 卒業生は、蒲郡市立大塚中学校へ進学する。
- 野外活動として相楽山荘での1泊2日のキャンプが行われていたが、相楽山荘の閉鎖(現・さがらの森)により2002年で最後となった。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年)3月1日 - 「大塚学校」を創立[1]。素盞嗚神社参篭殿を校舎とする。
- 1887年(明治20年)4月 - 「御馬学校」の分校となる[1]。
- 1888年(明治21年)4月 - 「尋常小学校大塚学校」を設置する。
- 1892年(明治25年)9月 - 小学校令の改正により「大塚尋常小学校」に改称。長興寺所有地を借入して初めて校舎を新築する。
- 1897年(明治30年)9月1日 - 校内に国府高等尋常小学校分教場を設置する。
- 1902年(明治35年)3月 - 高等科を併設し、「大塚尋常高等小学校」に改称する。
- 1907年(明治40年)1月 - 校章を制定。
- 1907年(明治40年)10月 - 大塚村立縫製専修学校を付設する。
- 1918年(大正7年)5月25日 - 大塚村立実業補習学校を付設し、縫製専修学校を廃校する。
- 1935年(昭和10年)7月10日 - 大塚村立実業補習学校を大塚村立青年学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により「大塚国民学校」に改称する。
- 1946年(昭和21年)4月 - 新学制の実施に伴い高等科を廃止し中学校創立。「大塚村立大塚小学校」に改称する[1]。
- 1955年(昭和30年)9月1日 - 町村合併協定により、大字赤根・大字大草の児童が御津町立御津南部小学校(現・豊川市立御津南部小学校)に転校する。
- 1955年(昭和30年)10月1日 - 蒲郡市編入により「蒲郡市立大塚小学校」に改称する[1]。
- 1956年(昭和31年)5月10日 - 初の鉄筋校舎(現・北校舎)が完成[1]。
- 1967年(昭和42年)5月28日 - FBC花壇コンクール優秀賞を受賞。
- 1969年(昭和44年)7月31日 - プールが完成[1]。
- 1972年(昭和47年)12月15日 - 校庭に交通コーナーが完成。
- 1975年(昭和50年)2月21日 - 管理棟(3階建て)竣工。
- 1976年(昭和51年)1月23日 - 体育館竣工。
- 1999年(平成11年)9月6日 - コンピュータールーム完成[1]。
- 2002年(平成14年)7月22日 - 大塚海岸の清掃活動を24年間続けていることから、国土交通省の「海をきれいにするための一般協力者」として大臣表彰を受賞。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 2学期制を導入。
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主な施設
[編集]- 北校舎
- 鉄筋コンクリート3階建12教室(普通教室10、低学年用図書室等)
- 管理棟
- 鉄筋コンクリート3階建(職員室、保健室、特別教室等)
- 南校舎
- 鉄筋コンクリート2階建6教室(普通教室4、児童会議室等)
- 体育館
- 鉄骨スレート一部2階建
- その他
- プール(低学年コース・高学年用6コース)、体育倉庫、農具倉庫他
北校舎が1956年度竣工で古いため、現在2階建ての南校舎を東西に伸ばし3階建に増築して全普通教室を南校舎に移し、運動場を拡張する構想がある。ちなみに南校舎は竣工時より増築に対応した構造になっている。