蓮沼町
表示
蓮沼町 | |
---|---|
町丁 | |
南蔵院のしだれ桜 | |
北緯35度46分12秒 東経139度42分12秒 / 北緯35.770003度 東経139.703236度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 板橋区 |
地域 | 志村地域 |
人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1]) | |
人口 | 5,288 人 |
世帯数 | 3,393 世帯 |
面積([2]) | |
0.283982242 km² | |
人口密度 | 18620.88 人/km² |
郵便番号 | 174-0052[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 板橋 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 東京都 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
蓮沼町(はすぬまちょう)は、東京都板橋区の町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。
地理
[編集]板橋区の東部に位置する。北で小豆沢、北東で北区赤羽西、東で北区西が丘、南で清水町、西で泉町および大原町と隣接する。東辺をもって板橋区 - 北区境を形成する。町域は狭小で、中小の工場と住宅が混在する。西辺で国道17号(中山道)が南北に通じている。
地形
[編集]武蔵野台地成増台の高台に属する。
歴史
[編集]廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡蓮沼村(後に分村により本蓮沼村、又は元蓮沼村とも称した)。一帯は中山道の街道筋に点在する小集落であったと考えられる。
沿革
[編集]- 1602年(慶長7年):徳川家康の命により、中山道が整備される。
- 17世紀前半ごろ:荒川洪水の被害を受けた氷川神社および南蔵院が、現在の坂下二丁目地域から高台の当地に移転する。
- 1722年(享保7年):徳川吉宗将軍が戸田筋で鷹狩を行い、南蔵院(既に現在の位置にあった)を御膳所(休息所)としたと伝えられる。
- 1862年(文久2年):蓮沼村が上蓮沼村と本蓮沼村に分村し、当地域は本蓮沼村となる。
- 1871年(明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡本蓮沼村となる。
- 1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字本蓮沼となる。
- 1923年(大正12年):王子(王志とも)乗合自動車商会(後に中山道乗合自動車を経て、戦後は国際興業バスに統合)が、王子駅 - 志村戸田橋間の路線バス事業を開始。現在の町域に志村前野、蓮沼停留所が設置される。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村本蓮沼町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
- 1935年(昭和10年):中山道拡幅・新道(国道17号)建設工事が完成する。[7]東京光学機械株式会社(現・トプコン)東京工場開設、本社移転。
- 1944年(昭和19年):都電志村線開通。蓮沼町停留場が設置される。[8]
- 1961年(昭和36年)5月1日:地番整理により、志村本蓮沼町および志村清水町、志村小豆沢町、(旧)小豆沢一丁目の一部地域が蓮沼町に再編される。志村本蓮沼町の一部地域は、清水町・大原町に編入される。[9]
- 1966年(昭和41年)5月28日:都電志村線廃止(最終運行日)。
- 1968年(昭和43年)12月27日:都営地下鉄6号線開通、本蓮沼駅開業。
地名の由来
[編集]江戸時代の村名「蓮沼村」に由来する。ただし、武蔵野台地側にある現在の町域が有史以降沼地だった形跡はなく、蓮沼の名は荒川沿いの湿地帯(現在の坂下・東坂下・舟渡付近)にあった沼地によるものと考えられている。当町域に本蓮沼・蓮沼の地名が残った経緯は明らかになっていない。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 5,263
|
2000年(平成12年)[11] | 5,022
|
2005年(平成17年)[12] | 5,022
|
2010年(平成22年)[13] | 5,009
|
2015年(平成27年)[14] | 5,129
|
2020年(令和2年)[15] | 5,474
|
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[10] | 2,390
|
2000年(平成12年)[11] | 2,434
|
2005年(平成17年)[12] | 2,517
|
2010年(平成22年)[13] | 2,765
|
2015年(平成27年)[14] | 2,938
|
2020年(令和2年)[15] | 3,341
|
学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[16]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1~20番 | 板橋区立志村第三小学校 | 板橋区立志村第一中学校 |
21~83番 | 板橋区立志村第二中学校 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[17]。
- 事業所数 : 191事業所
- 従業員数 : 2,382人
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 210
|
2021年(令和3年)[17] | 191
|
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[18] | 2,722
|
2021年(令和3年)[17] | 2,382
|
交通
[編集]鉄道
[編集]バス
[編集]- 国際興業バス ※出入庫に伴う区間運行系統は省略。
道路
[編集]施設
[編集]- 板橋蓮沼郵便局
- トプコン
- ジーシー
- 尾野製本所
- 氷川神社:17世紀前半ごろに荒川水害の被害により当地に移転。
- 南蔵院:17世紀前半ごろに荒川水害の被害により、現在の坂下二丁目地域より当地に移転。境内の八重紅しだれ桜は「板橋十景」に選定されている。
その他
[編集]日本郵便
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “令和6年 町丁目別年齢別人口表” (CSV). 板橋区 (2024年4月2日). 2024年4月29日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年11月17日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “蓮沼町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ 板橋区教育委員会『いたばしの地名』、1995年3月、P127。
- ^ 板橋区教育委員会が2011年に南蔵院に建てた説明文による。
- ^ 板橋区ホームページ「平成27年度板橋区土木白書 第1章 区道の歴史」(PDFファイル)
- ^ 「日本鉄道旅行地図帳 5号 東京」(新潮社・2008年)41頁
- ^ 板橋区ホームページ「住居表示実施証明書」
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “板橋区立小中学校 住所別通学区域校一覧” (PDF). 板橋区 (2021年7月30日). 2023年11月17日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。