藤原弘蔭
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時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 延喜4年3月3日[1](904年3月21日) |
官位 | 従五位上、大学頭 |
主君 | 陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇 |
氏族 | 藤原北家真夏流 |
父母 | 父:藤原家宗、母:藤原山蔭の娘 |
兄弟 | 弘蔭、継蔭 |
妻 | 藤原高経の娘 |
子 | 繁時 |
藤原 弘蔭(ふじわら の ひろかげ)は、平安時代の貴族。藤原北家真夏流、参議・藤原家宗の子。官位は従五位上・大学頭。
経歴
[編集]文章生から宮内少輔を経て、元慶2年(878年)民部少輔次いで相模介、仁和2年(886年)大学頭、仁和3年(887年)阿波守を歴任。ほかに、日向守・相模守などの地方官も務めた。陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の三代に仕えた。延喜4年(904年)3月3日卒去。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 時期不詳:従五位下。宮内少輔
- 元慶2年(878年)正月11日:民部少輔。6月8日:相模介
- 仁和2年(886年)2月21日:大学頭
- 仁和3年(887年)6月13日:阿波守
- 時期不詳:従五位上[1]。日向守[1]。相模守[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]参考文献
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