藤原文山
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 承和8年3月21日(841年4月16日) |
官位 | 従四位上、右京大夫 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 藤原南家乙麻呂流 |
父母 | 父:藤原雄友、母:石上宅嗣の娘 |
兄弟 | 真川、広河、文山、秋常、弟河、弟男、藤原総継室 |
妻 | 紀鯖丸の娘、藤原真友の娘 |
子 | 長基、常基 |
藤原 文山(ふじわら の ふみやま)は、平安時代初期の貴族。藤原南家乙麻呂流、大納言・藤原雄友の子。官位は従四位上・右京大夫。
経歴
[編集]弘仁元年(810年)従五位下に叙爵し、翌弘仁2年(811年)造西寺次官次いで玄蕃頭に任ぜられる。その後嵯峨朝において、宮内少輔・侍従を歴任する。
淳和朝に入ると、天長元年(824年)正五位下、天長2年(825年)従四位下と俄に昇進し、右京大夫を務める。
天長10年(833年)仁明天皇の即位に伴い従四位上に昇叙され、のち内蔵頭・右京大夫を歴任した。承和8年(841年)3月21日卒去。最終官位は散位従四位上。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁元年(810年) 11月22日:従五位下
- 弘仁2年(811年) 正月11日:造西寺次官。4月5日:玄蕃頭
- 弘仁3年(812年) 8月3日:宮内少輔
- 弘仁5年(814年) 7月10日:侍従
- 時期不詳:従五位上
- 天長元年(824年) 正月7日:正五位下
- 天長2年(825年) 正月4日:従四位下
- 天長4年(827年) 2月29日:見右京大夫
- 天長10年(833年) 3月6日:従四位上
- 承和3年(836年) 2月7日:内蔵頭
- 承和6年(839年) 4月4日:見右京大夫
- 承和8年(841年) 3月21日:卒去(散位従四位上)
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。