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藤原真友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原真友
時代 奈良時代後期 - 平安時代初期
生誕 天平14年(742年
死没 延暦16年6月25日797年7月23日
官位 従四位上参議
主君 光仁天皇桓武天皇
氏族 藤原南家乙麻呂
父母 父:藤原是公、母:真都我橘佐為の四女)
兄弟 真友雄友、弟友、友人吉子
藤原蔵下麻呂の娘
朝嗣道長藤原弟河室、藤原文山
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藤原 真友(ふじわら の まとも)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族藤原南家乙麻呂流、右大臣藤原是公の長男[1]官位従四位上参議

経歴

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光仁朝末の宝亀11年(780年従五位下少納言に叙任される。

桓武朝初頭の天応2年(782年氷上川継の乱が発生すると衛門佐に任ぜられる。延暦3年(784年越前介、延暦4年(785年)従五位上・下総守に叙任されるなど、しばらく地方官を務める。延暦6年(787年正五位下右大舎人頭に叙任されて京官に遷ると、中務大輔右京大夫と一転して京官を務め、延暦10年(791年)に従四位下に叙せられている。またこの間、延暦8年12月(790年1月)の皇太后高野新笠崩御、および翌延暦9年(790年)の皇后藤原乙牟漏崩御の際に、いずれも山作司を務めている。

延暦13年(794年)に参議に任ぜられて公卿に列し、延暦15年(796年)従四位上と昇進するが、翌延暦16年(797年)6月25日卒去。享年56。最終官位は参議従四位上兼大蔵卿

官歴

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注記のないものは『六国史』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ a b c d 『公卿補任』

出典

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