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藤島範平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤島範平

藤島 範平(ふじしま はんぺい[1][2]、旧姓・山内1871年8月15日明治4年6月29日[3] - 1947年昭和22年)9月21日[4])は、日本実業家工学博士[1][5][6][7]帝国海事協会理事長[6][7]。専門は造船学[1]。族籍は三重県平民[3][8]作家藤島泰輔は孫。ジャニーズ事務所代表取締役の藤島ジュリー景子は曽孫。

人物

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三重県三重郡菰野村生まれ[1]。三重県士族・山内俊徳の二男[1][6][7][9]。山内静吾の兄[7][9]。藤島萬治郎の養子となり、家督を相続した[6][9][10]。三重県立尋常中学校、第三高等中学校を経て[1]1894年帝国大学工科大学造船学科卒業[5][6][11]

日本郵船に入り、保船課長、参事、船舶調査主任を経て1918年取締役に挙げられ、後工務部長を兼ね1923年、これを辞し、横浜船渠社長となり、次いで横浜新港倉庫社長、東京回漕会社取締役、横浜商工会議所常議員に挙げられ後退任し、1936年、帝国海事協会理事長に就任した[6]

1919年、工学博士の学位を受く[1][5][6]。趣味は読書撞球ゴルフ[6]。宗教は仏教[6][7]本籍は三重県阿山郡東柘植村大字中柘植[1](現・伊賀市)。住所は東京市麹町区上二番町[3]小石川区駕籠町[1][5][7][9]牛込東五軒町[8]神奈川県横浜市中区長住町[10]

家族・親族

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藤島家

藤島家は、代々三重県柘植村に住し、酒造業を営む[5][9][10]

親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『大日本博士録 VOLUME V』工学220頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年4月11日閲覧。
  2. ^ 大日本博士録. 第5巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2021年4月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』ふ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月11日閲覧。
  4. ^ 「藤島範平氏(工博、元海事協会理事長)」『朝日新聞』1947年9月26日、2面。
  5. ^ a b c d e 『帝国大学出身名鑑』フ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『人事興信録 第13版 下』フ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月11日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第14版 下』フ58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月11日閲覧。
  8. ^ a b 『人事興信録 第6版』ふ27頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月11日閲覧。
  9. ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』フ56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月11日閲覧。
  10. ^ a b c d e 『人事興信録 第8版』フ58頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月14日閲覧。
  11. ^ 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』第二十章 学士及卒業学生姓名442頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月27日閲覧。
  12. ^ 小貫慶治『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

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  • 『東京帝国大学一覧 明治27-28年』東京帝国大学、1886-1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『大日本博士録 VOLUME V』発展社、1921 - 1930年。
  • 『大日本博士録 第5巻』発展社、1921 - 1930年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。