赤田駅
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(蜷川駅から転送)
赤田駅* | |
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あかだ Akada | |
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所在地 | 富山県富山市赤田 |
所属事業者 | 富山地方鉄道 |
所属路線 | 笹津線 |
キロ程 | 2.2 km(南富山起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1950年(昭和25年)9月1日 |
廃止年月日 | 1975年(昭和50年)4月1日 |
備考 | 笹津線廃線に伴い廃駅 |
* 1964年まで「蜷川駅」として営業 |
赤田駅(あかだえき)は、富山県富山市赤田にあった富山地方鉄道笹津線の駅(廃駅)である。笹津線の廃線に伴い1975年(昭和50年)4月1日に廃駅となった。
歴史
[編集]- 1914年(大正3年)12月6日:富山軽便鉄道堀川新駅(後の南富山駅) - 笹津駅間開通(富山軽便鉄道全通)に伴い蜷川駅(にながわえき)として開業[1]。
- 1915年(大正4年)10月24日:鉄道会社名を富山鉄道に改称。それに伴い同鉄道の駅となる[1][2]。
- 1920年(大正9年)12月22日:一旦廃止となる[1][3]。
- 1950年(昭和25年)9月1日:富山地方鉄道笹津線南富山駅 - 大久保町駅間再開通に伴い再開業[1][2][4][5]。旅客のみ取扱い[4]。
- 1965年(昭和40年)1月1日:赤田駅に改称[1][4][5]。
- 1975年(昭和50年)4月1日:笹津線の廃線に伴い廃止となる[1][2][4][5]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[5][6]。ホームは線路の東側(地鉄笹津方面に向かって左手側)に存在した[6]。転轍機を持たない棒線駅となっていた[6]。
無人駅となっていた[5][6]。駅舎は存在しなかった[6]。
富山軽便鉄道(後の富山鉄道)時代の当駅も、停留場として開業していた[6]。
駅周辺
[編集]田圃の中に位置した[6]。
- 国道41号(越中東街道)
- 富山県道188号東猪谷富山線
- 北陸自動車道富山IC - 当駅廃止後の開業。
- 土川
駅跡
[編集]2007年(平成19年)9月時点では駅跡の特定は困難であり[7]、名残を見つけることは出来なかった[8]。
また、当駅跡附近の線路跡は、1998年(平成10年)時点では当線廃線後に南富山駅 - 日本繊維前駅の間を東西に走る形で開通した国道359号の取付け道路附近から田村町駅跡南側付近までは2車線の舗装道路となっていた[9]。2008年(平成20年)時点でも同様で、当駅跡附近の道路は市道であった[8]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介、新潮社、2008年10月発行)38ページより。
- ^ a b c 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)211ページより。
- ^ 「地方鉄道停留場廃止」『官報』1920年12月24日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c d 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)165ページより。
- ^ a b c d e 書籍『新 消えた轍 7 北陸』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング、2010年12月発行)43-45,47ページより。
- ^ a b c d e f g 書籍『RM LIBRARY 107 富山地鉄笹津・射水線』(著:服部重敬、ネコ・パブリッシング、2008年7月発行)28-29ページより。
- ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年5月発行)80-83ページより。
- ^ a b 書籍『富山廃線紀行』(著:草卓人、桂書房、2008年7月発行)80ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くV』(JTBパブリッシング、1998年6月発行)80ページより。