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西川右近

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西川 右近(にしかわ うこん、1939年6月4日 - 2020年12月12日)は、名古屋西川流三世家元。本名、近藤雅彦。愛知県名古屋市出身。

東京都新宿区に本部を置く「西川流®」(一般財団法人 西川流)とは無関係。

来歴

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1939年6月4日、近藤茂と静子(西川司津)の長男として生まれる。3歳で初舞台。1956年、名古屋西川流名取「西川右近」となる。高校中退し、4歳年上の名妓連芸妓・八重子と同棲。この頃から、藤間勘祖 (2世)に師事する。

1983年8月、 父二世西川鯉三郎死去、名古屋西川流三世家元を継承。流派で内紛が起こり、1985年4月8日、右近は記者会見を開いて分家の実姉西川左近の絶縁を発表[1]。1985年4月16日、左近も名古屋西川流の分家問題や名取免許授与をめぐり紛糾している問題で記者会見した。左近の分家独立は当時の新聞、週刊誌とマスコミを騒がせた。左近は二世鯉三郎の遺言に基づき東京で「西川流鯉風派」を起こして分裂した。1985年8月、財団法人西川会(現、一般財団法人西川会)設立、理事長就任。1992年9月、心筋梗塞で緊急入院。

2004年4月、湯浅景元と踊りと健康の融合「NOSS」を開発。2010年、東京国際大学人間社会学部客員教授に就任。

2014年、第67回「名古屋をどり」終演を以て家元を引退し、以降、名古屋西川流総師を名乗る[1]。長男西川千雅が四世家元継承し、長女西川まさ子、次女西川陽子が家元補佐を務める。

2017年1月、妻・八重子が81歳で死去。同年9月1日、一般社団法人日本舞踊スポーツ科学協会設立。2020年12月12日、急性心不全のため、自宅で死去[2]。81歳没。

流派としての活動

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不祥事

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64歳のとき、名古屋国税局の税務調査を受け、2001年までの6年間で約1億5000万円の申告漏れを指摘されていたことが2003円6月14日に分かった。同国税局はこのうち約1億3000万円を所得隠しと認定し、重加算税を含め、約8000万円を追徴課税(更正処分)した[3][4]

受賞

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書籍

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  • 『日本舞踊舞踊劇選集』西川会 2002
  • 『やっぱり古いが面白い!』文化創作出版 2003
  • 『週刊朝日』「夫婦の情景(270)西川右近・八重子夫妻」朝日新聞出版 2005.06.24
  • 『兄者 義経の血霊』だいわ文庫 2007
  • 『にんげん見本帖 心に残るあの人の言葉・この人の生き様』創美社 2010
  • 『7分のおどりで筋力強化! 日舞エクササイズ「NOSS」のすべて』 西川千雅共著 湯浅景元監修 日経BPM 2010

参考文献

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脚注

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  1. ^ 右近の制作日記362、継承公演、無事に終了”. 右近の日記 (2014年9月13日). 2014年12月10日閲覧。
  2. ^ 西川右近・日舞 西川流三世家元が死去、81歳 「名古屋をどり」を定着 - 毎日新聞 2020年12月15日
  3. ^ 日本経済新聞. “「西川流」家元所得隠し、門下生謝礼金、6年間で1億3000万円。”. 日本経済新聞社、2003年6月14日. 2023年9月30日閲覧。
  4. ^ 「日本舞踊の西川流家元が申告漏れ=6年間で1億5千万円−名古屋国税局」時事通信 2003年6月14日

外部リンク

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