藤間勘祖 (2世)
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二世 | |
生年月日 | 1900年10月8日 |
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没年月日 | 1990年12月5日(90歳没) |
本名 | 藤間 秀雄 |
襲名歴 | 1. 尾上梅雄 2. 六世藤間勘十郎 3. 二世藤間勘祖 |
出身地 | 東京都江東区深川 |
母 | 初代藤間勘祖(五世藤間勘十郎 養母) |
妻 | 藤間紫(1985年に離婚) |
子 | 長女・藤間高子(後に三世藤間勘祖) 藤間流八世宗家八世藤間勘十郎(孫) |
当たり役 | |
関寺小町 時雨西行 楠公 井筒 ほか多数 | |
受賞 | |
1955年(昭和30年)毎日演劇賞受賞 1957年(昭和32年)紫綬褒章受章 1962年(昭和37年)毎日芸術賞受賞 1963年(昭和38年)日本芸術院賞受賞 1967年(昭和42年)日本芸術院会員 1971年(昭和46年)勲三等瑞宝章受章 1979年(昭和54年)文化功労者 1982年(昭和57年)文化勲章を受章 備考 1960年(昭和35年)重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝) | |
二世 藤間 勘祖(にせい ふじま かんそ、1900年(明治33年)10月8日 - 1990年(平成2年)12月5日)は、東京都江東区深川出身。本名:藤間 秀雄。藤間流宗家の舞踊家。六世藤間勘十郎でもある。勘十郎は二代から五代までは女だったが、六代は男。昔、永代橋に稽古場があった所以から、永代橋=藤間 勘祖のことを呼んでいた。
経歴
[編集]- 1900年(明治33年)東京深川生まれ。
- 1907年(明治40年)六代目尾上梅幸に入門する。尾上梅雄(おのえ ばいゆう)を名乗る。
- 1908年(明治41年)歌舞伎座で初舞台。
- 1916年(大正4年) 藤間流宗家五世藤間勘十郎の養子となる。
- 1926年(大正15年)五世藤間勘十郎が初代勘祖となり、隠居。藤間家を継ぐ。
- 1927年(昭和2年) 六代目藤間勘十郎を襲名。六代目尾上菊五郎の後援を得て舞踊家としての名声をあげた。生涯素踊りで通した。
- 1937年(昭和12年)六代目尾上菊五郎の「藤娘」を振付をする。
- 1940年(昭和15年)東京芸術大学の「舞踊科」の講師になる。
- 1944年(昭和19年)門弟だった、藤間紫と結婚。
- 1951年(昭和26年)3月 歌舞伎座で舟橋聖一作、十一代目市川團十郎、七代目尾上梅幸主演、源氏物語の構成、振付。
- 1953年(昭和28年)11月 三島由紀夫作、十七代目中村勘三郎、六代目中村歌右衛門主演の「鰯売恋曳網」の構成。振付。
- 1961年(昭和36年)「第1回勘十郎の会」を歌舞伎座で開催。「関寺小町」、「佐野源左衛門常世」が高く評価される。
- 1963年(昭和38年)十七代目中村勘三郎主演の「大江山酒呑童子」を構成、振付。
- 1969年(昭和44年)4月 十七代目中村勘三郎、十八代目中村勘三郎主演の「連獅子」を構成、振付。勘三郎父子の姿がリンクし、中村屋 (歌舞伎)の当たり役にある。他の役者も父子で演じるきっかけになった。
- 1970年(昭和45年)11月七代目尾上梅幸、二代目中村鴈治郎主演、「花簪」を構成、振付。
- 1976年(昭和51年)5月六代目中村歌右衛門主演の清元「田舎源氏露東雲」構成、振付。
- 1978年(昭和53年)1月歌舞伎座公演、幹部総出演の「春ことぶれ」を振付。
- 1979年(昭和54年)9月「第2回勘十郎の会」を歌舞伎座で開催。六代目中村歌右衛門と長唄「二人椀久」を踊る。
- 1981年(昭和56年)9月 十七代目中村勘三郎主演の安藤鶴夫作「芸阿呆」を構成、振付。
- 1982年(昭和57年)3月 四代目雀右衛門主演、清元「豊後道成寺」を振付。
- 1984年(昭和59年)五代目坂東玉三郎の「鷺娘」を玉三郎に合う形の振りに直す。
- 1985年(昭和60年)妻、藤間紫と離婚。
- 1988年(昭和63年)3月「第3回勘十郎の会」は国立劇場で開催。八世藤間勘十郎と米寿で「橋弁慶」を踊る。
- 1989年(平成元年) 9月 「宗家藤間会」で「井筒」を踊る。
- 1990年(平成2年) 9月 歌舞伎座で「藤間会」を開催。長女、藤間康詞(高子)に七代目勘十郎(後に三世藤間勘祖)を譲り、二代目勘祖を名乗った。清元「四季三葉草」の翁を務め、これが最後の舞台になった。
- 1990年(平成2年)12月 永眠。享年90。
- 2000年(平成12年)9月 生誕100年を記念して、朝日新聞社より「六世藤間勘十郎」の写真集が発売される。
役職
[編集]- 日本舞踊協会理事
受賞・叙勲等
[編集]- 受賞
- 1955年(昭和30年)毎日演劇賞受賞。
- 1957年(昭和32年)紫綬褒章受章。
- 1962年(昭和37年)毎日芸術賞受賞。
- 1963年(昭和38年)日本芸術院賞受賞。
- 1967年(昭和42年)日本芸術院会員。
- 1971年(昭和46年)勲三等瑞宝章受章。
- 1979年(昭和54年)文化功労者。
- 1982年(昭和57年)文化勲章を受章。
- その他
家族
[編集]書籍
[編集]- 写真集「六世藤間勘十郎」 朝日新聞社、2000年
門弟
[編集]歌舞伎俳優の多くは、彼に日本舞踊を教わる。舞踊家も丁寧に指導した。六代目尾上菊五郎時代からの知己で、名古屋西川流二世西川鯉三郎と三世西川右近親子。女優の水谷八重子、尾上流家元尾上菊之丞ほか。
備考
[編集]永代橋=藤間 勘祖のことを呼んでいた。その後、稽古場は人形町、麻布と設けたが、関係者は「永代橋の宗家」と言っていた。