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菅野矢一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

菅野 矢一(すがの やいち、1907年1月19日[1] - 1991年6月15日[1])は、洋画家日本芸術院会員。本名は彌一[1]

山形市生まれ[1]。山形商業学校を中退した後[1]、小学校代用教員や会社員を経て[1]、画家を志して上京[1]。川端絵画研究所に学び、1936年文展鑑査展に「黒牛」で初入選[1]。1939年から安井曾太郎に師事し[1]、翌年一水会展に初入選[1]。1953年に渡仏し、グラン・ショーミエールで、ゴエルグやクラヴェに師事する[1]。1954年に帰国した後[1]日展への入選を重ね[1]、日展評議員、同参事、日展顧問などを歴任した。1982年「くるゝ蔵王」で日本芸術院賞受賞[1][2]、1986年日本芸術院会員[1]

『菅野矢一画集』(日動出版部 1990)がある。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 菅野矢一 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年8月28日閲覧。
  2. ^ 『朝日新聞』1982年3月3日(東京本社発行)朝刊、22頁。