佐藤哲 (洋画家)
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佐藤 哲 | |
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生誕 |
佐藤 哲也[1] 1944年1月27日(80歳)[1] 日本・大分県大分市[2][3] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大分大学学芸学部美術科[3] |
著名な実績 | 洋画 |
受賞 |
「紫陽花の頃」(1982年)日展特選[1] |
公式サイト |
satotetu |
選出 |
東光会代表理事(2011年)[1][2][3] |
活動期間 | 昭和後期 - 平成時代[1] |
影響を受けた 芸術家 | 江藤哲[2] |
佐藤 哲(さとう てつ、1944年(昭和19年)1月27日[1] - )は、大分県大分市出身[2][3]の日本の洋画家[1]。本名佐藤哲也[1]。
来歴
[編集]略歴
[編集]1944年(昭和19年)1月27日、大分県大分市に生まれる[1][2][3]。
1966年(昭和41年)、大分大学学芸学部美術科卒業[3]。翌1967年(昭和42年)、江藤哲に師事[2]。
受賞歴
[編集]1975年(昭和50年)日展初入選[注釈 1]、同年東光展会友賞[1]。1982年(昭和57年)「紫陽花の頃」が第14回日展特選を受賞[1][2][3]、東光展会員賞[2]。1991年(平成3年)ジャパンフェスティバル・イン・ベルリン展金賞[2][3]。
2009年(平成21年)「ひととき」が第41回日展文部科学大臣賞受賞[1][2][3]。2013年(平成25年)、「夏の終りに」が日本芸術院賞受賞[1][3]。
会員組織
[編集]1997年(平成9年)以降、日展審査員を4回務める[2][3]。2002年(平成14年)日展評議員就任[1][2]。2011年(平成23年)より東光会代表理事[1][2][4][3]。2013年(平成25年)より日展理事[2][3]。2015年(平成27年)12月16日より日本芸術院会員[5]。2016年(平成28年)、日展副理事長就任[3]。
著作
[編集]- 佐藤哲『佐藤哲作品集』一枚の繪、2003年11月。ISBN 978-4870731066。
- 佐藤哲『構図の基本を見なおしてもっと自由に絵を描こう』一枚の繪、2004年11月。ISBN 978-4870731103。
出展
[編集]- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)
- 2月26日(木)~3月1日(日)「第4回アートフェスタ in 東京フォーラム」(東京・有楽町東京国際フォーラム)
- 6月7日(日)~6月11日(木)東京・中央区銀座、スペース銀座の杜にて。一枚の絵づくし 2009 アートフェア。
- 7月7日(火)~7月14日(火)愛知県名古屋市、ジェイアール名古屋タカシマヤ10階催会場にて。2009年・第8回 一枚の繪 夏のアートマーケット。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “佐藤哲 さとう-てつ”. コトバンク. 2016年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 一枚の繪.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 略歴.
- ^ “役員名簿”. 東光会. 2016年10月7日閲覧。
- ^ “日本芸術院 正式会員就任”. 佐藤哲. 2016年10月7日閲覧。
- ^ 大阪市北区、阪神百貨店・梅田本店8階・催場にて、2008年(平成20年)12月26日(金)~12月31日(水)「第57回、100万人の洋画秀作市」立川広己画伯他2名画家招待出席。佐藤哲画伯「港」F3号等出展。令和元年2019年8月閲覧
- ^ 東京・有楽町。2009年(平成21年)2月26日(木)~3月1日(日)「第4回アートフェスタ in 東京フォーラム」招待画家立川広己画伯等出席出展。佐藤哲画伯は「日の出・真鶴港」F8号等出展。令和元年2019年8月閲覧
- ^ 東京・中央区銀座、スペース銀座の杜にて。2009年(平成21年)6月7日(日)~6月11日(木)一枚の絵づくし 2009 アートフェア。招待画家佐藤哲画伯・立川広己画伯等計13名画家出展。他、東郷青児画伯・村田省蔵画伯等出展。令和元年2019年8月閲覧
- ^ 愛知県名古屋市、ジェイアール名古屋タカシマヤ10階催会場にて。2009年(平成21年)7月7日(火)~7月14日(火)2009年・第8回、一枚の繪、夏のアートマーケット。招待画家佐藤哲画伯・立川広己画伯等計8名画家出展。令和元年2019年8月閲覧