池部鈞
池部鈞 | |
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生誕 | 1886年3月3日[3] |
死没 |
1969年12月17日(83歳没)[3] 東京都八王子市[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京美術学校[3] |
著名な実績 | 漫画、洋画 |
代表作 |
「少女球戯図」(1928年)帝展特選[3] 「踊」(1930年)帝展特選[3] |
受賞 |
「美人一列」日本芸術院賞(1966年)[1] 勲四等旭日小綬章(1967年)[1] |
選出 |
一水会会員(1938年)[1] 一水会運営委員[1] 日展評議員[1] 白日会創立会員[2] |
活動期間 | 明治 - 昭和時代[3] |
影響を受けた 芸術家 | 渡辺審也[3] |
影響を与えた 芸術家 | 池部良(実子)[3][1] |
池部 鈞(いけべ ひとし、1886年(明治19年)3月3日[4] - 1969年(昭和44年)12月17日[3])は、東京府東京市本所区(現東京都墨田区本所)[1]出身の日本の風刺漫画家[5]、洋画家[3][4][6][7]。旧姓・山下[3][1]。
岡本一平の義弟[8]、岡本太郎の叔父にあたり[9]、俳優の池部良は実子[3][10][11]。
来歴
[編集]1886年(明治19年)3月3日、東京本所に生まれる[1]。山下覺之介の二男[4][6][7]。叔父・池部鍬吉の養子となる[4]。台東区立下谷小学校に通った[1][注釈 1]。
1898年(明治31年)頃、12歳時に神田の錦城中学に入学[1]、翌1899年(明治32年)から1900年(明治33年)にかけての時期に白馬会展の展観作品に感動し画家を志す[1]。
中学3年となった1902年(明治35年)頃、石井柏亭に師事を願い出るが断られ[1]、代わりに紹介された渡辺審也に師事する[3][1]。1910年(明治43年)、東京美術学校を卒業[4][注釈 2]、翌1911年(明治44年)、朝鮮京城日報社入社[1][12]、1914年(大正3年)には徳富蘇峰の国民新聞に入社[12]し政治・議会・社会分野などの漫画を担当した[注釈 3][注釈 4]。
1916年(大正5年)、漫画誌「トバエ」が創刊され参加、翌1917年(大正7年)、「漫画」創刊参加、その後も漫画分野では1922年(大正11年)「漫画の畑」、1925年(大正14年)、「漫画ボーイ」[注釈 5]などに創刊号から執筆参加し漫画界の第一人者として活躍した[1][10]。
漫画分野の活躍と前後して、油絵分野では1921年(大正10年)の帝展出品作「大道芸人」より帝展出品を開始、1928年(昭和3年)、第9回帝展「少女球戯図」が帝展特選、続く1930年(昭和5年)、第11回帝展「踊」も帝展特選および無鑑査となった[1]。
1938年(昭和13年)、一水会会員、のちに一水会運営委員、日展評議員も務めた[1]。
1966年(昭和41年)、「美人一列」が日本芸術院賞恩賜賞受賞[1]、翌1967年(昭和42年)、勲四等旭日小綬章受章[1]。
1969年(昭和44年)12月17日、心不全のため東京都八王子市の永生病院で死去、享年83[1]。
人物
[編集]趣味は旅行[4][6][7]。宗教は日蓮宗[4][6][7]。住所は東京市大森区新井宿四丁目[4][6][7]。せっかちな江戸っ子気質で、自宅で鍋を囲むときは必ず鍋奉行に興じ、特にすき焼きを食べる際は、〆の最後に沢庵や白菜の漬物を入れていた。これについて息子の池部良は「まずくはないが、馴れるまで時間がかかった」と述懐している[14]。
著作
[編集]- 池部鈞『僕の学生時代』磯部甲陽堂、1918年。ASIN B0099H0HFI。
- 池部鈞、服部亮英、細木原青起、牛島一水、小林克巳、北澤楽天、水島爾保布、宮尾しげを『漫畫の滿洲』大阪屋号書店、1927年10月。NCID BN15555671。
- 池部鈞『凸凹放送局 : 池部鈞集』現代ユウモア全集刊行会、1929年。NCID BA63316851。
- 展覧会出品目録については#外部リンク参照
家族・親族
[編集]- 池部家
- 親戚
- 岡本一平(漫画家)
- 岡本かの子(歌人、小説家)
- 岡本太郎(芸術家)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「池部鈞」(2015年12月14日)、2016年10月4日閲覧。
- ^ “目黒区美術館所蔵作品目録Ⅰ 1981-1987”. 目黒区美術館. 2016年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “池部鈞 いけべ-ひとし”. コトバンク. 2016年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第14版 東京篇』85頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月11日閲覧。
- ^ “晩年はエッセイストとしても活躍した池部良”. 文藝春秋 (2013年1月7日). 2016年10月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 上』補遺(上巻)17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』イ124頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月10日閲覧。
- ^ “町田市立博物館で田河水泡コレクションによる『笑いの中に ~近代の戯画・風刺画~』展を開催します” (PDF). 町田市 (2013年1月16日). 2016年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月4日閲覧。
- ^ “小野佐世男―モガ・オン・パレード 展”. 神奈川県観光協会 (2012年9月18日). 2012年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月4日閲覧。
- ^ a b 後藤康行 (2012年3月). “戦時下の漫画にみる逓信事業と戦争” (PDF). 郵政博物館. p. 88. 2016年10月4日閲覧。
- ^ “池部 鈞”. 徳富蘇峰記念館. 2016年10月4日閲覧。
- ^ a b 高晟埈. “在朝鮮日本人漫画家の活動について―岩本正二を中心に” (PDF). 新潟万代島美術館. p. 9. 2016年10月4日閲覧。
- ^ 阿部光子『共に生きるよろこび』水書坊、1991年4月、37頁。ISBN 978-4943843627。
- ^ 野村麻里 編『作家の手料理』平凡社、2021年2月25日、165‐171頁。
- ^ 野村麻里 編『作家の手料理』平凡社、2021年2月25日、166頁。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。