コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

橋本堅太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橋本 堅太郎
橋本 堅太郎
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
生誕 1930年7月23日
日本の旗 東京府
死没 (2021-01-31) 2021年1月31日(90歳没)
日本の旗 東京都目黒区
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京芸術大学美術学部卒業
著名な実績 彫刻
代表作 『竹園生』(1996年
受賞 日本芸術院賞(1996年)
選出 日本芸術院
民族 大和民族
影響を受けた
芸術家
橋本高昇
平櫛田中

橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 - 2021年1月31日)は、日本彫刻家位階従四位勲等旭日中綬章東京学芸大学名誉教授日本芸術院会員文化功労者

宝仙学園短期大学助教授、東京学芸大学教育学部教授社団法人日展理事長、社団法人日本彫刻会理事長などを歴任した。

来歴

[編集]

生い立ち

[編集]

1930年7月23日生まれ[1]。東京出身[1]。1953年、東京芸術大学彫刻科卒業(平櫛田中に師事)。

彫刻家として

[編集]

1954年、日展初入選[1]、1966年、日展特選[1]宝仙学園短期大学助教授などをへて、1973年、東京学芸大学助教授、1974年、日展審査員、1982年、教授、1990年、日展評議員、1992年、日展文部大臣賞、1994年、日本彫刻会監事、東京学芸大学を退官、名誉教授。「竹園生」にて1996年、日本芸術院賞受賞[1]。日展理事・日本彫刻会理事、1996年、日本芸術院会員[1]、1997年、日展常務理事、1998年、日本彫刻会常務理事、1999年、日展事務局長、2000年、日展理事長[1]、日本彫刻会理事長[1]。2009年、旭日中綬章受章[2]。2011年、文化功労者[1]

死去

[編集]

2021年1月31日、誤嚥性肺炎のため、東京都目黒区の病院で死去[3]。90歳没。死没日をもって従四位に叙される[4]

作風

[編集]

仏像、宗教的雰囲気の人物像などを彫る。

家族・親族

[編集]

彫刻家橋本高昇の長男[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 (2015). "橋本堅太郎(読み)はしもと けんたろう". コトバンク. 2018年7月21日閲覧
  2. ^ 平成21年春の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 3 (2009年4月29日). 2009年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月9日閲覧。
  3. ^ 時事通信社. “彫刻家の橋本堅太郎さん死去”. 時事通信. 2021年2月1日閲覧。
  4. ^ 『官報』第447号9頁 令和3年3月10日号

外部リンク

[編集]