大内田茂士
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大内田 茂士(おおうちだ しげし、1913年9月24日 - 1994年2月1日[1])は、日本の洋画家。日本芸術院会員。
経歴
[編集]福岡県朝倉郡大福村(朝倉町を経て、現 朝倉市)出身[1]。1931年、福岡県立朝倉中学校(現 福岡県立朝倉高等学校)卒業[1]。浜哲雄に画家となることを勧められ、高島野十郎らの指導を受ける[1]。23歳で朝倉郡宝珠山小学校代用教員となり[1]、翌年上京して東京新宿絵画研究所で学ぶ[1]。1942年「静物」で国展入選[1]、1943年「隈」が文展入選[1]。1944年応召され、台湾で終戦を迎える[1]。
戦後、父の教え子だった森部隆の後援を受け、1949年に後援会が結成された[1]。示現会の創立に参加し[1]、日展の審査員・評議員も務めた[1]。1951年「室内」が日展特選[1]、1984年「秋の卓上」が日展内閣総理大臣賞[1]、1988年日本芸術院賞・恩賜賞受賞[1]。1989年、日展理事に就任[1]、勲四等旭日小綬章受章。1990年日本芸術院会員[1]。
美術大学や絵画専門学校で専門的な教育をほとんど受けず、独学で油絵の技法を身につけた[1]。「日展の異端児」とも称された[1]。
図録
[編集]- 『大内田茂士回顧展』甘木歴史資料館 1995
- 『大内田茂士展 生誕90年記念』福岡県立美術館 2004
出典
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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