澄川喜一
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澄川 喜一 | |
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澄川 喜一 (すみかわ きいち) | |
文化勲章受章に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
1931年5月2日 島根県鹿足郡六日市町 |
死没 | 2023年4月9日(91歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京芸術大学美術学部卒業 |
著名な実績 | 彫刻 |
代表作 |
『そりとそぎのあるかたち』 (1981年) 『リチャード・ブラントン胸像』 (1991年) |
受賞 |
吉田五十八賞(1988年) 日本芸術院賞(2003年) 恩賜賞(2003年) |
公式サイト | 彫刻家 澄川喜一ホームページ|東京スカイツリーデザイン監修 そりのあるかたち |
選出 | 日本芸術院 |
民族 | 大和民族 |
活動期間 | 1952年 - |
影響を受けた 芸術家 | 平櫛田中 |
澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - 2023年4月9日)は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問[1]、日本芸術院会員、文化功労者。
人物
[編集]島根県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部教授を経て学長を務め、金沢美術工芸大学では客員教授を務めた。新制作協会の会員であり、2006年には委員長を務めた。日本芸術院会員にも選任され、文化功労者となった。また、島根県芸術文化センター グラントワのセンター長、石見美術館の館長、財団法人横浜市芸術文化振興財団の理事長などを歴任した。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]島根県六日市町(現・吉賀町)生まれ。山口県立岩国工業高等学校機械科卒業。東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。
彫刻家として
[編集]大学卒業後に助手として採用され、同大学専任講師、助教授を経て教授。東京芸術大学学長を歴任。「そりのあるかたち」シリーズで知られる作家。新制作協会会員。1998年紫綬褒章受章、2003年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、2008年文化功労者、2020年文化勲章受章。安藤忠雄と共に、東京スカイツリーのデザイン監修を務める。
2023年4月9日、死去[2]。91歳没。
主な彫刻作品の設置場所
[編集]- 「そりとそぎのあるかたち」1981年、神戸市立中央体育館北側 神戸市中央区楠町4
- 「大蛇の彫刻」 奥出雲たたらと刀剣館 島根県仁多郡奥出雲町横田1380-1
- 「リチャード・ブラントン胸像」 1991年、横浜市横浜公園
- 「翔」「翼」國學院大學渋谷キャンパス
- 「TO THE SKY」東京スカイツリー
- 「TO THE SKY」碧南市立東中学校 昇降口前
賞歴
[編集]- 第23回新制作展新作家賞(1960年)
- 第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展・宇部市野外彫刻美術館賞(1968年)
- 第1回現代国際彫刻展コンクール賞(1969年)
- 第8回平櫛田中賞、第7回長野市野外彫刻賞、第8回現代日本彫刻展・宇部市野外彫刻美術館賞(1979年)
- 第7回神戸須磨離宮公園芸術彫刻展・神戸須磨離宮公園彫刻賞、中原悌二郎優秀賞(1980年)
- 第1回東京野外現代彫刻展優秀賞(1983年)
- 栃木県小山彫刻展大賞(1984年)
- 第13回吉田五十八賞、第1回倉吉市緑の彫刻賞(1988年)
- 第10回本郷新賞(2001年)
- 日本芸術院賞・恩賜賞(2003年)
栄典
[編集]関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ “本法人顧問 澄川喜一氏に文化勲章”. 國學院大學 取材日誌. 2021年1月7日閲覧。
- ^ “澄川喜一さん死去、91歳 彫刻家、スカイツリー監修”. 時事通信 (2023年6月21日). 2023年6月21日閲覧。
- ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
- ^ “令和2年度 文化勲章受章者”. 文部科学省 (2020年11月3日). 2020年11月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- 彫刻家 澄川喜一ホームページ|東京スカイツリーデザイン監修 そりのあるかたち - 公式ウェブサイト