日比野光鳳
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日比野 光鳳 (ひびの こうほう) | |
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文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
日比野 尚 1928年11月22日 京都府京都市 |
死没 |
2023年8月23日(94歳没) 京都府京都市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 同志社大学経済学部卒業 |
著名な実績 | 書 |
流派 | 水穂会 |
選出 | 日本芸術院 |
民族 | 大和民族 |
影響を受けた 芸術家 | 日比野五鳳 |
日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - 2023年8月23日)は、日本の書家。勲等は旭日中綬章。水穂会会長、公益社団法人日展顧問、日本芸術院会員、文化功労者。本名は日比野 尚(ひびの ひさし)。
宝酒造株式会社での勤務を経て、同志社大学文学部講師、社団法人日展常務理事などを歴任した。
来歴
[編集]書家・日比野五鳳の子として京都市に生まれる。幼い頃より書に親しむ。同志社大学経済学部卒業、1953年宝酒造に勤務、1965年まで勤める。同志社大学文学部講師、京都新聞書き初め書道展審査委員長、京都市展審査員などを歴任。1987年日本美術展覧会(日展)会員賞。1992年京都府文化賞功労賞。1994年京都市文化功労者。1997年日展内閣総理大臣賞。1999年日本芸術院賞受賞、読売書法会常任総務。2002年花園大学文学部客員教授。2004年旭日小綬章受章。日展理事をへて2006年常務理事。京都書作家協会会長、のち顧問、水穂会会長、全日本書道連盟顧問。2008年父に続き親子2代で日本芸術院会員に選ばれる。2011年文化功労者[1]。2021年、旭日中綬章を受章した[2][3]。
2023年8月23日、老衰のため、京都市の自宅で死去した[4]。94歳没。死没日付をもって従四位に叙された[5]。
家族・親族
[編集]「昭和の三筆」のひとり日比野五鳳を父に持ち、息子の日比野実(博鳳)も書家・花園大学教授である。また、書家の土橋靖子は孫。
著書
[編集]- 高木聖鶴 共編『かな応用 (読売書法講座)』読売新聞、1994年8月。ISBN 978-4643940473
- 『寸松庵色紙・継色紙 (かな古典の学び方)』二玄社、1991年2月。ISBN 978-4544019520
- 『色紙 短冊の書き方〈かな〉』二玄社、1988年5月。ISBN 978-4544014488
脚注
[編集]- ^ “文化勲章に丸谷才一さん、大滝秀治さんら功労者”. YOMIURI ONLINE (2011年10月25日). 2011年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。
- ^ 『官報』号外第250号、令和3年11月4日
- ^ “橋爪功さんら秋の叙勲、旭日大綬章に畔柳信雄氏ら 4036人受章”. 日本経済新聞 (2021年11月3日). 2023年1月14日閲覧。
- ^ “読売書法会最高顧問の書家、日比野光鳳氏が死去…94歳”. 読売新聞. (2023年8月23日) 2023年8月23日閲覧。
- ^ 『官報』第8号1070頁 令和5年9月27日