善竹彌五郎
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善竹 彌五郎(ぜんちく やごろう)は、能楽師狂言方大蔵流の名跡。当代は二世。
初世
[編集]初世 | |||||
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本名 | 茂山 久治 | ||||
別名義 | 茂山久治→茂山彌五郎→善竹彌五郎 | ||||
生年月日 | 1883年10月4日 | ||||
没年月日 | 1965年12月17日(82歳没) | ||||
出生地 | 日本 京都府 | ||||
死没地 | 日本 兵庫県 | ||||
職業 | 能楽師 | ||||
ジャンル | 舞台 | ||||
活動期間 | 1888年 - 1965年 | ||||
活動内容 | 能楽(能・狂言) | ||||
著名な家族 |
養父:二世茂山忠三郎良豊 子:初世善竹忠一郎、二十四世大藏彌右衛門、善竹玄三郎、善竹幸四郎、善竹圭五郎 | ||||
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初世 善竹彌五郎(1883年10月4日 - 1965年12月17日)は、本名は「茂山 久治」。京都府生まれ。
実父は士族だったが、2歳のとき、母が狂言方二世茂山忠三郎良豊と再婚し、入籍。養父の薫陶を受け、狂言の舞台に立つ。のち、義父と実母の間に生まれた弟が、三世茂山忠三郎良一。
1941年、次男・吉次郎が大藏彌右衛門(宗家)へ養嗣子として入り二十四世大蔵彌太郎(のち彌右衛門)となったため、以後は宗家後見役を務める。その際に、能楽シテ方金春流七十七世宗家・金春光太郎より「彌五郎」の芸名を贈られた。
庶民的・写実的芸風として高く評価された。1963年、金春流七十八世宗家・金春信高より「善竹」の姓を贈られ、子・孫を含め、一家を挙げて改姓した。
1964年、狂言方として初めて重要無形文化財技術保持者(通称・人間国宝、各個認定)に認定。1965年、神戸で没した。享年82。
二世
[編集]二世 | |||||
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本名 | 茂山 隆夫 | ||||
別名義 | 善竹隆夫→二世善竹忠一郎(1994年-2018年) | ||||
生年月日 | 1940年 | ||||
出生地 | 日本 大阪府 | ||||
職業 | 能楽師 | ||||
ジャンル | 舞台 | ||||
活動期間 | 1946年 - 現在 | ||||
活動内容 | 能楽(能・狂言) | ||||
著名な家族 |
父:初世善竹忠一郎 弟:善竹忠重 子:善竹隆司、善竹隆平 | ||||
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二世 善竹彌五郎(1940年 - )は、本名は「茂山 隆夫」。大阪府生まれ。初世善竹忠一郎の長男。大蔵流狂言善竹家当主。
祖父初世善竹彌五郎および父に師事。6才の時、狂言『靱猿』で初舞台。1980年、重要無形文化財(総合認定)に認定。
大蔵流狂言善竹会主宰。日本能楽会会員、能楽協会大阪支部副支部長、兵庫県芸術文化協会評議員。兵庫県立宝塚北高等学校演劇科講師。
2018年11月4日、祖父の名「彌五郎」を襲名、二世となる[1]。
参考文献
[編集]- “善竹弥五郎とは”. コトバンク. 2021年1月18日閲覧。
- 茂山忠亮『狂言師善竹彌五郎の芸と生 : 近代狂言におけるアドの太夫として』(博士(学術)論文・先端総合学術研究科専攻)立命館大学、2019年。doi:10.34382/00010141。 NAID 500001364558。学位授与番号: 甲第1341号 。
- “演者プロフィール 善竹彌五郎[二世]”. 大蔵流狂言善竹会. 2022年2月1日閲覧。
- “善竹家”. 大蔵流狂言善竹会. 2022年2月1日閲覧。
脚注
[編集]- ^ “昭和の名跡、後世へ 襲名披露する大蔵流狂言師 忠一郎改め善竹弥五郎”. 毎日新聞. (2018年10月25日) 2021年2月2日閲覧。