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浅香鉄心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浅香 鉄心(あさか てっしん、本名:浅香 昌平1926年12月26日 - 1997年11月22日)は、日本書家[1]書游会創立者[2]吉澤鐵石大久保龍石とともに日本書作院を創設し[3]、理事長も務めた[1]

経歴

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後の茨城県真壁郡下館町に生まれ[2]、小学4年生から書道を始める[1]第二次世界大戦中は、海軍兵長として従軍し、巡洋艦「摩耶」に乗り組んでいたが、マリアナ沖海戦で至近弾を受けて重傷を負い、内地に送られた[4][5]。戦後、復員した後、地元で書道塾を開いた[2]。また、平尾孤往に師事した[6]

1957年日展に初入選[1]

1963年吉澤鐵石大久保龍石とともに日本書作院を創設し[7]、理事長も務めた[1]

1970年には青山杉雨の教えを受けた[1]

1974年、茨城書道美術振興会を設立し、理事長となった[8]

ヘビースモーカーであったが、1984年心筋梗塞で倒れ、これを機に禁煙し、その後に書いた作品で日展文部大臣賞を受賞した[9]

1989年には候補となって3年目で日本芸術院賞を受賞し、また、日展理事となった[5]

没後、遺作100点が下館市に寄贈され[10]2005年にはしもだて美術館で回顧展が開催された[8]

作風

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「一作一面貌」を主張し[5]、中国の明清書道に学んだ独自の書風を拓いたと評されている[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 浅香 鉄心」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E9%A6%99%20%E9%89%84%E5%BF%83コトバンクより2022年6月3日閲覧 
  2. ^ a b c 浅香鉄心(書家) - YouTube
  3. ^ 日本書作院について”. 日本書作院. 2022年6月3日閲覧。
  4. ^ “元年生まれ 戦禍克服、いまも燃焼(それぞれの昭和:20)”. 朝日新聞・夕刊: p. 22. (1985年1月21日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  5. ^ a b c “浅香鉄心さん 日本芸術院賞に決まった(いばらきのひと)”. 朝日新聞・朝刊・茨城. (1989年5月1日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  6. ^ “浅香鉄心氏(本名・昌平=日展常務理事、日本書作院理事長)死去”. 読売新聞・東京朝刊: p. 35. (1997年11月24日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  7. ^ 日本書作院について”. 日本書作院. 2022年6月3日閲覧。
  8. ^ a b “下館市出身の書家・浅香鉄心氏の回顧展 /茨城”. 朝日新聞・朝刊・茨城: p. 35. (2005年1月13日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  9. ^ “浅香鉄心さん・書道家 日に80本の喫煙返上(人きのうきょう)”. 朝日新聞・夕刊: p. 2. (1985年1月19日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  10. ^ “書家、浅香鉄心氏の遺族が作品贈る 下館市 /茨城”. 朝日新聞・朝刊・茨城. (1998年9月29日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧