猪原大華
猪原 大華 (いのはら たいか) | |
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生誕 |
1897年2月17日[1] 広島県深安郡(現・福山市)[1] |
死没 |
1980年2月5日(82歳没)[1] 京都府京都市中京区[1] |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 日本画 |
受賞 |
総理大臣賞 1972年 「浄池」 [1][4] 日本芸術院賞・恩賜賞 1974年 「清明」 [1][4] 勲三等瑞宝章 1974年 [1] |
活動期間 | 1921年 - 1978年[1] |
影響を受けた 芸術家 |
金島桂華[2] 土田麦僊[1][3] 西村五雲[1] |
猪原 大華(いのはら たいか、1897年(明治30年)2月17日[1] - 1980年(昭和55年)2月5日[1])は日本画家[1]。広島県深安郡(現・福山市)出身[1]。本名は寿(ひさし)[4][1][3][2]。花鳥草木を得意とした[4]。
自然観照に基づいた穏健な画風と枯淡な色彩で知られており[3]、写実を越えた現代花鳥画の方向性を導く物として期待され[5]、装飾的画題を荒いタッチで処理した独特の画風を展開した[1]。
略歴
[編集]1897年(明治30年)2月17日、広島県深安郡八尋村(現・福山市)にて地主農家の生家に生まれる[1][2][3]。
1915年、18歳のとき画家を志し広陵中学校(現・私立広陵高校)を中退[2]。伯父を頼って大阪に出た折に金島桂華を知る[2]。1918年京都市立絵画専門学校別科[3](現・京都市立芸術大学)入学[1]。在学中の1921年、第3回帝展(帝国美術博覧会、現日展)にて初入選[1]。1923年卒業し同校研究科へ進むも、1929年退学、同年同校嘱託教員となる[1][3]。絵は初め土田麦僊に学び[注釈 1]、1930年3月、福田平八郎・山口華陽と共に1カ月間中国へ旅行し研究に努めている[1][3]。同年8月、京都市立美術工芸学校工芸科(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)嘱託教員として転勤[1]。
1936年6月10日の麦僊死去により翌1937年西村五雲の西村五雲晨鳥社へ入塾[1]。1937年京都市立美術工芸学校工芸科正教諭[1]。1938年9月5日、五雲が没し晨鳥社が閉校すると、五雲塾員らで新たに晨鳥社を結成し後進の指導にあたった[1]。1950年、京都市立美術工芸学校工芸科を依願退職[1]。
教職に就いた後も継続して作品出品を続けており、1942年第8回京都市展で緑賞、1950年第1回全関西総合展にて佳作賞、1952年京展紅賞を経て1954年第10回日展および1958年第1回新日展にて日展特選・白寿賞を受賞、1964年紺綬褒章受章、1972年第4回改組日展にて「浄池」が総理大臣賞[6]、1973年第5回改組日展の出品作品「清明」が翌1974年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、同年勲三等瑞宝章受章、同年日展参与[1][2]。1975年京都市文化功労者[7]、1976年京都府美術工芸功労者[1][2]。
1979年2月16日、広島県深安郡神辺町より名誉市民の称号を贈られた[3][2]。現在は福山市名誉市民[3]。
1980年(昭和55年)2月5日[1]、胃がんにより京都府京都市中京区の病院にて死去。82歳没[1][4][2]。
作品
[編集]- 太字は受賞。
出品年 | 出品展覧会 | 作品名 | 備考 | |
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1. | 1921年 | 第3回帝展 | 「郡鶏」 | |
2. | 1922年 | 第4回帝展 | 「七面鳥」 | |
3. | 1925年 | 第5回国画創作協会展 | 「干鰈」 | |
4. | 1926年 | 第6回国画創作協会展 | 「果樹」 | |
5. | 1927年 | 第8回帝展 | 「若桐」 | |
6. | 1928年 | 第9回帝展 | 「残る夏」 | |
7. | 1930年 | 第11回帝展 | 「桃」 | |
8. | 1931年 | 第12回帝展 | 「牡丹花」 | |
9. | 1932年 | 第13回帝展 | 「春苑」 | |
10. | 1933年 | 第14回帝展 | 「秋初むる小鳥」 | |
11. | 同年 | 京都市美術館記念展 | 「鉄剪花」 | |
12. | 1934年 | 第15回帝展 | 「水禽図」 | |
13. | 同年 | 第1回京都市展 | 「後庭浅春」 | 緑賞 |
14. | 1936年 | 文展鑑査展 | 「秋趣」 | |
15. | 1938年 | 第2回新文展 | 「閑日(農具と鶏)」 | |
16. | 1940年 | 2600年大毎展 | 「棕梠」 | |
17. | 同年秋 | 紀元2600年奉祝美術展覧会 | 「首夏」 | |
18. | 同年 | 第6回京都市展 | 「鶏頭」 | |
19. | 1941年 | 第7回京都市展 | 「椿」 | |
20. | 1942年 | 第8回京都市展 | 「鶏」 | 緑賞 |
21. | 1943年 | 第6回新文展 | 「鶏舎」 | |
22. | 1946年 | 第2回日展 | 「鶏」 | |
23. | 1947年 | 第3回日展 | 「牡丹」 | |
24. | 1948年 | 第4回日展 | 「蓮池」 | |
25. | 1950年 | 第1回全関西総合展 | 「静物」 | 佳作賞 |
26. | 1951年 | 第7回日展 | 「河骨の咲く池」 | |
27. | 1952年 | 第8回日展 | 「池と材木」 | |
28. | 同年 | 京展 | 「池畔」 | 紅賞 |
29. | 1953年 | 第9回日展 | 「樹間」 | |
30. | 1954年 | 第10回日展 | 「池」 | 特選、白寿賞 |
31. | 1955年 | 第11回日展 | 「池」 | 無鑑査 |
32. | 1956年 | 第12回日展 | 「月」 | |
33. | 1957年 | 第13回日展 | 「梅」 | 特選、白寿賞 |
34. | 1958年 | 第1回新日展 | 「竹」 | 委嘱 |
35. | 1959年 | 第2回新日展 | 「篁」 | 審査員 |
36. | 1960年 | 第3回新日展 | 「水」 | 会員 |
37. | 1961年 | 第4回新日展 | 「池」 | |
38. | 1962年 | 第5回新日展 | 「樹」 | |
39. | 1963年 | 第6回新日展 | 「池」 | |
40. | 同年 | 東京朝日主催選抜秀作展 | 「樹」 | 招待出品 |
41. | 1964年 | 第7回新日展 | 「白梅」 | |
42. | 同年 | 第2回朝日秀作展 | 「水草の池」 | 招待出品 |
43. | 1965年 | 第8回新日展 | 「暖」 | |
44. | 1966年 | 第9回新日展 | 「河骨」 | 審査員 |
45. | 1967年 | 第10回新日展 | 「庭の椿」 | |
46. | 1968年 | 第11回新日展 | 「梅花」 | 評議員 |
47. | 1969年 | 第1回改組日展 | 「黄葉」 | 評議員 |
48. | 1970年 | 第2回改組日展 | 「秋ノ陽」 | 評議員 |
49. | 1971年 | 第3回改組日展 | 「老梅」 | 審査員、評議員 |
50. | 1972年 | 第4回改組日展 | 「浄池」 | 総理大臣賞、評議員 |
51. | 1973年 | 第5回改組日展 | 「清明」 | 芸術院恩賜賞、評議員 |
52. | 1974年 | 第6回改組日展 | 「若松」 | 参与 |
53. | 1975年 | 第7回改組日展 | 「松」 | 参与 |
54. | 1976年 | 第8回改組日展 | 「慈光」 | 参与 |
55. | 1977年 | 第9回改組日展 | 「鯉」 | 参与 |
56. | 1978年 | 第10回改組日展 | 「悠泳」 | 参与 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「猪原大華」(2015年12月14日)、2016年1月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “猪原大華(いのはらたいか)略年譜”. 京都市立芸術大学. 2016年1月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 菅茶山記念館. “展示物”. 福山市. 2016年1月24日閲覧。
- ^ a b c d e f “猪原大華 いのはら たいか”. コトバンク. 2016年1月24日閲覧。
- ^ 華鴒大塚美術館 (2015年). “猪原大華展”. 国立新美術館. 2016年1月24日閲覧。
- ^ “大臣賞受賞者一覧(昭和33年~現在)”. 日展. 2016年1月24日閲覧。
- ^ “京都市文化功労者”. 京都市. 2022年10月3日閲覧。