山本倉丘
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山本 倉丘 (やまもと そうきゅう) | |
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生誕 |
山本 伝三郎[2] 1893年10月12日[2] 高知県幡多郡[2] |
死没 |
1993年9月5日(99歳没)[2] 京都府京都市上京区[2] |
国籍 | 日本 |
教育 | 京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)[2] |
受賞 |
日本芸術院賞 1966年 「たそがれ」[2] 勲四等旭日小綬章[1] |
影響を受けた 芸術家 |
山本春挙[1] 堂本印象[2][1] |
山本 倉丘(やまもと そうきゅう、1893年10月12日[2] - 1993年9月5日[2])は、日本の日本画家[2]。高知県幡多郡出身[2]。本名は伝三郎[2][3][4]。
四条派の伝統の上に近代的な様式を加えた花鳥画で知られ[1][4]京都画壇の重鎮であった[2]。
略歴
[編集]1918年山本春挙(早苗会)に師事[1]、1926年、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)在学中に「麗日」が第7回帝展入選[2]。1933年同校選科修了[2]。同年、「菜園の黎明」が第14回帝展特選[2]。
山本春挙没後の1939年、堂本印象(東丘社)に師事[2][1]。
戦後は日展に出品を続けた[2]ほか、東丘社展・京展・関西展等で活躍[1]。1958年の社団法人日展発足[5]時に日展評議員就任[2]。1966年「たそがれ」が第22回日本芸術院賞受賞[2][6]。1954年日展参与[2]。
1993年9月5日、心不全のため京都市上京区の西陣病院で死去、享年99[2]。
受賞歴
[編集]- 1926年 - 第7回帝展入選(「麗日」)[2]
- 1933年 - 第14回帝展特選(「菜園の黎明」)[2]
- 1966年 - 日本芸術院賞(「たそがれ」)[2]
- 1978年 - 京都市文化功労者[2][1]
- 1984年 - 勲四等旭日小綬章
- 1988年 - 京都府文化賞特別功労賞[2]
作品
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 美術人名辞典『山本倉丘』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「山本倉丘」(2015年12月14日)、2016年8月1日閲覧。
- ^ “山本, 倉丘, 1893-1993”. 国立国会図書館 (2000年11月13日). 2016年8月1日閲覧。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『山本倉丘』 - コトバンク
- ^ "組織概要・沿革・定款等". 日展公式サイト. 2018年6月20日閲覧。
- ^ “第22回 昭和40年/1965年度”. 日本芸術院 (1966年5月31日). 2016年8月1日閲覧。中段第22回の項。
- ^ “作品詳細 初夏”. 国立美術館. 2016年8月1日閲覧。
- ^ “作品詳細 燦”. 国立美術館. 2016年8月1日閲覧。