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山本倉丘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 倉丘
(やまもと そうきゅう)
生誕 山本 伝三郎[2]
1893年10月12日[2]
高知県幡多郡[2]
死没 (1993-09-05) 1993年9月5日(99歳没)[2]
京都府京都市上京区[2]
国籍 日本の旗 日本
教育 京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学[2]
受賞 日本芸術院賞
1966年 「たそがれ」[2]
勲四等旭日小綬章[1]
影響を受けた
芸術家
山本春挙[1]
堂本印象[2][1]

山本 倉丘(やまもと そうきゅう、1893年10月12日[2] - 1993年9月5日[2])は、日本日本画家[2]高知県幡多郡出身[2]。本名は伝三郎[2][3][4]

四条派の伝統の上に近代的な様式を加えた花鳥画で知られ[1][4]京都画壇の重鎮であった[2]

略歴

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1893年2月17日、高知県幡多郡に生まれる[2]

1918年山本春挙(早苗会)に師事[1]、1926年、京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)在学中に「麗日」が第7回帝展入選[2]。1933年同校選科修了[2]。同年、「菜園の黎明」が第14回帝展特選[2]

山本春挙没後の1939年、堂本印象(東丘社)に師事[2][1]

戦後は日展に出品を続けた[2]ほか、東丘社展・京展・関西展等で活躍[1]。1958年の社団法人日展発足[5]時に日展評議員就任[2]。1966年「たそがれ」が第22回日本芸術院賞受賞[2][6]。1954年日展参与[2]

1993年9月5日、心不全のため京都市上京区の西陣病院で死去、享年99[2]

受賞歴

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美術人名辞典によれば京都府美術工芸功労者[1]

作品

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 美術人名辞典『山本倉丘』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「山本倉丘」(2015年12月14日)、2016年8月1日閲覧。
  3. ^ 山本, 倉丘, 1893-1993”. 国立国会図書館 (2000年11月13日). 2016年8月1日閲覧。
  4. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『山本倉丘』 - コトバンク
  5. ^ "組織概要・沿革・定款等". 日展公式サイト. 2018年6月20日閲覧
  6. ^ 第22回 昭和40年/1965年度”. 日本芸術院 (1966年5月31日). 2016年8月1日閲覧。中段第22回の項。
  7. ^ 作品詳細 初夏”. 国立美術館. 2016年8月1日閲覧。
  8. ^ 作品詳細 燦”. 国立美術館. 2016年8月1日閲覧。

外部リンク

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