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雨宮治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

雨宮 治郎(あめのみや じろう、1889年5月17日 - 1970年5月13日)は、彫刻家、日本芸術院会員。群馬県出身。

経歴

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1920年東京美術学校彫刻科卒業、1923年同研究科卒業、帝展文展日展に出品し、1950年日展審査員、日展運営会参事、1951年東京学芸大学教授、1957年日本芸術院賞受賞、1958年日展評議員、1962年日本彫塑会委員長、1964年日本芸術院会員、日展理事、1966年勲三等瑞宝章受章、1969年日展顧問。

晩年は東京都杉並区永福に自宅を構えた。 1970年5月13日、脳梗塞のため杉並区の東京大塚病院にて死去。告別式は同月22日、青山葬儀所で行われた[1]。墓所は多磨霊園

娘の雨宮敬子、息子の雨宮淳も彫刻家、芸術院会員。2013年現在日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールには「健人(けんと)」の大ブロンズ像が飾られている。

脚注

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  1. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和45年(1970年)5月14日夕刊 3版 11面