コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤間勘祖 (3世)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さんせい ふじま かんそ
三世 藤間 勘祖
生年月日 (1945-12-06) 1945年12月6日(79歳)
本名 藤間ふじま 高子こうこ
襲名歴 1. 藤間高子こうこ
2. 藤間康香こうこ
3. 藤間康詞みちのり
4. 七世藤間勘十郎
5. 三世藤間勘祖
出身地 日本の旗 日本東京都
二世藤間勘祖
藤間紫
八世藤間勘十郎
公式サイト 宗家藤間流 公式ホームページ
受賞
#受賞歴を参照

三世 藤間勘祖(ふじま かんそ、1945年12月9日 - )は、六世藤間勘十郎藤間紫の長女。東京都出身。日本舞踊宗家藤間流の前宗家。本名は藤間高子(こうこ)。長男は八世藤間勘十郎

経歴

[編集]
  • 1945年12月9日六世藤間勘十郎藤間紫の間に生まれる。
  • 1948年9月、長唄『五條坂景清』の“禿”にて初舞台を踏む。
  • 1966年10月、「藤間会」での長唄『鏡獅子』にて本格的に舞踊の道へ進む。
  • 1967年11月、「第一回高子の会」を主宰。
  • 1973年10月、「芸術祭参加大歌舞伎公演」の『舞鶴五條橋』で歌舞伎初振付。
  • 1981年12月、藤間康香(こうこ)に改名。
  • 1983年4月、「第一回藤間康詞リサイタル」を主宰。
  • 1990年9月、歌舞伎座「宗家藤間流襲名舞踊会」で「寿式三番叟」ほかで、父の後を受けて藤間流宗家七世藤間勘十郎を襲名。
  • 1990年12月、六世藤間勘十郎が90歳で亡くなる。
  • 2000年9月、国立劇場「六世藤間勘十郎生誕百年 藤間会」を開催。
  • 2002年9月、歌舞伎座「二世勘祖13回忌追善 三世勘祖・八世勘十郎襲名 藤間会」で息子の康詞(みちのり)に藤間勘十郎を譲り、三世藤間勘祖を襲名する。

八世藤間勘十郎と共に歌舞伎舞踊の振付をしている。

受賞・栄典

[編集]
  • 1969年10月 「藤間会」での長唄・文楽『京鹿子娘道成寺』により、芸術選奨文部大臣新人賞受賞
  • 1996年 平成8年度日本芸術院賞受賞(歌舞伎舞踊に尽くした業績)
  • 2014年 第34回 伝統文化ポーラ賞 優秀賞[1]
  • 2019年 旭日中綬章受章[2][3]

資料

[編集]

自伝的エッセイとして『そして始まり』藤間高子(あすか書房 1987)がある。

私生活

[編集]

はじめ、大蔵流狂言師山本東次郎(当時、山本則寿)と結婚したが、妻子ある能楽師・梅若六郎(当時・梅若紀彰)と交際し、息子の藤間勘十郎を儲け、山本とは離婚する。

脚注

[編集]
  1. ^ 藤間 勘祖(ふじま かんそ) 歌舞伎舞踊の保存・振興”. 公益財団法人ポーラ伝統文化振興財団 (2014年). 2023年10月17日閲覧。
  2. ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
  3. ^ 秋の叙勲、柄本明さんら4113人 伊達忠一氏に桐花大綬章”. 日本経済新聞 (2019年11月3日). 2023年1月20日閲覧。

外部リンク

[編集]