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濱田台児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浜田 台児(はまだ たいじ、旧字体濱田 臺兒1916年大正5年)11月15日 - 2010年平成22年)9月1日[1])は、鳥取市出身の日本画家。本名は浜田 健一(はまだ けんいち)。

略歴

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鳥取県気高郡正条村(現・鳥取市気高町浜村)に生まれる。伊東深水橋本明治に師事する。1935年(昭和10年)、19歳の時に深水に入門、日展に出品を重ねる。鮮明な色彩による人物・花鳥画を得意とする。1975年(昭和50年)日展文部大臣賞、1980年(昭和55年)日本芸術院賞受賞[2]、1989年(昭和59年)日本芸術院会員。日展顧問。1990年(平成2年)気高町名誉町民。

画集に『浜田台児画集』(邦画会、1961年)がある。

2005年(平成17年)11月、旭日中綬章受章[3]

2010年(平成22年)9月1日、東京都杉並区の病院[1]脳梗塞のため死去[4]。93歳だった。

脚注

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  1. ^ a b 浜田台児氏死去 日本画家 - 47NEWS(よんななニュース) 2010/11/24 11:27【共同通信】[リンク切れ]
  2. ^ 『朝日新聞』1980年3月5日(東京本社発行)朝刊、22頁。
  3. ^ 平成17年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 4 (2005年11月3日). 2006年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月21日閲覧。
  4. ^ 濱田台児氏=日本画家、日本芸術院会員 : おくやみ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 2010年11月24日14時36分 読売新聞