伊東万燿
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伊東 万燿 | |
---|---|
生誕 |
伊東 満[2][1] 1921年9月16日[1] 東京府[2] |
死没 |
1970年11月26日(49歳没)[2] 東京都文京区[2] |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 日本画 |
受賞 |
日展内閣総理大臣賞 1967年 「踊る」 [2][1] 日本芸術院賞 1968年 「女」 [2][1] |
活動期間 | 昭和時代[1] |
影響を受けた 芸術家 | 伊東深水[2] |
伊東 万燿(いとう まんよう、1921年9月16日[1] - 1970年11月26日[2][1])は東京府出身の日本画家[2][1]。本名は満(みつる)[2][1][3]。現代的な人物群像を得意とした[4]。著名な家族として実父で師父である伊東深水と[4][1]、妹で女優の朝丘雪路がいる[5]。
略歴
[編集]日本画家伊東深水の次男として東京府に生まれる[2][1]。父に師事[4][1]。戦前は朗峯画塾展に作品を出品。
1941年「楽人」が第4回新文展[注釈 1]にて入選[2]。戦後は1950年に日展依嘱となった[2]。
1967年「踊る」が内閣総理大臣賞受賞[1][2]、翌1968年「女」が第24回日本芸術院賞受賞[2][1][8]。
1970年11月26日、食道ガンにより東京都文京区日本医科大学付属病院で死去、満49歳没[2]。
主な作品
[編集]- 太字は受賞。
作品 | 制作年 / 出品 | 備考 | |||
「楽人」 | - | 1941年 / 4回新文展 | - | 入選[2] | |
「落葉する頃」 | - | 1947年 / 3回日展 | - | [2] | |
「高原清秋」 | - | 1949年 / 5回日展 | - | [2][1] | |
「黎明」 | - | 1950年 / 6回日展 | - | [2] | |
「食卓」 | - | 1951年 / 7回日展 | - | [2] | |
「無言(しじま)」 | - | 不明 | - | [2][1] | |
「踊る」 | - | 1967年 | - | 内閣総理大臣賞[2] | |
「女」 | - | 1968年 | - | 第24回日本芸術院賞[2]、神奈川県立近代美術館蔵[9] |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 油井一人編 『20世紀物故日本画家辞典』 美術年鑑社、1998年
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p デジタル版 日本人名大辞典+Plus『伊東万燿』 - コトバンク. 2016年8月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「伊東万燿」(2015年12月14日)、2016年8月2日閲覧。
- ^ 作者詳細、日本芸術院公式サイト。
- ^ a b c 美術人名辞典『伊東万燿』 - コトバンク. 2016年8月2日閲覧。
- ^ "朝丘雪路さんが死去、82歳 女優". 日本経済新聞. 20 May 2018. 2018年5月22日閲覧。
- ^ 『日本美術年鑑』昭和46年版、109-110頁。
- ^ “展覧会の変遷と開催年(明治40年~現在)”. 日展. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “歴代授賞者詳細”. 日本芸術院. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “伊東万燿 いとう まんよう (1921-1970)”. 神奈川県立近代美術館. 2016年8月2日閲覧。