海老原一郎
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海老原一郎 | |
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生誕 |
1905年8月4日 東京市 |
死没 |
(1990-05-07) 1990年5月7日(84歳没) 東京都品川区旗の台 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京美術学校 |
職業 | 建築家 |
受賞 |
日本芸術院賞(1971年) 勲三等瑞宝章(1980年) |
所属 | 海老原建築事務所 |
建築物 |
尾崎記念会館 ディックビル 川村記念美術館 |
海老原 一郎(えびはら いちろう、1905年8月4日 - 1990年5月7日)は日本の建築家、日本芸術院会員。
略歴
[編集]東京府生まれ。府立第三中学校卒業。1924年、東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)建築科に入学[1]
山口文象と知り合い、近代建築運動団体・創宇社建築会(1923年結成)に参加。1929年の創宇社第6回展・第7回展、1930年の第8回展に、労働診療所、労働者アパートメント、消費組合食堂などの作品を出品した。
1930年3月に東京美術学校を卒業後、石本建築事務所に勤める。1938年に独立し、海老原建築事務所を設立する。[2]
1950年代に尾崎記念館(現在の憲政記念館)、1960年代に日本最初の超高層ビル「ディックビル」(18階建)を設計。1971年日本芸術院賞受賞[3]、1976年から1980年まで日本建築家協会会長、1980年芸術院会員。
作品
[編集]- 日本バイリーン工場
- 大日本インク工場
- 憲政記念館(東京都千代田区永田町、1958年) - 建築設計コンペ当選作。
- 新世界ビルディング(東京都台東区浅草、1959年) - 海老原建築設計事務所(海老原一郎・倉田康男・橋本朋之)として。地上7階(塔屋除く)・地下2階建の複合娯楽ビル[4]。
- ディック(DIC)ビル(東京都中央区日本橋、1967年) - 18階建、74mで霞が関ビル(1968年)が建てられるまで日本一の高さだった。2013年取壊し。
- 川村記念美術館(佐倉市、1990年)
脚注
[編集][脚注の使い方]
関連項目
[編集]- 山本勝巳 - 美術学校の同期卒業
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |