三谷吾一
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三谷 吾一 | |
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三谷 吾一(みたに ごいち) | |
文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
生誕 |
三谷 伍市(みたに ごいち) 1919年2月13日 石川県鳳至郡 |
死没 |
2017年7月12日(98歳没) 石川県金沢市 |
国籍 | 日本 |
著名な実績 | 工芸 |
代表作 | 『潮風』(1987年) |
受賞 |
日展特選北斗賞 (1966年・1970年) 日展会員賞(1978年) 日本芸術院賞(1988年) 中日文化賞(1994年) |
選出 | 日本芸術院 |
民族 | 大和民族 |
影響を受けた 芸術家 |
蕨舞洲 前大峰 |
三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 2017年7月12日[1])は、日本の漆芸家。位階は正四位。勲等は勲四等。日本芸術院会員、文化功労者。本名は三谷 伍市(みたに ごいち)。
社団法人日展理事、社団法人現代工芸美術家協会常務理事、輪島塗技術保存会副会長などを歴任した。
来歴
[編集]生い立ち
[編集]1933年、14歳で沈金師・蕨舞洲に師事、1938年前大峰に師事、1941年沈金職人として独立。
工芸家として
[編集]1942年新文展出品の「沈金漆筥」が初入選、1965年日本現代工芸美術展出品の「飛翔」が現代工芸大賞読売新聞社賞受賞、1966年日展出品の「集」が特選北斗賞受賞、1970年改組日展出品の「翼」が特選北斗賞受賞、1977年輪島塗技術保存会会員となる。
1978年日展出品の「星月夜」が日展会員賞受賞、1984年北國文化賞受賞、1988年日本芸術院賞受賞、石川テレビ賞受賞、1989年日展理事、1991年現代工芸美術家協会常務理事、石川県文化功労賞受賞、1993年勲四等旭日小綬章、1994年輪島塗技術保存会副会長、中日文化賞受賞、2002年芸術院会員。2015年文化功労者。
2017年7月12日、肺炎のため金沢市内の病院で死去[3]。98歳没。没後に正四位に叙された[4]。
略歴
[編集]- 1919年 - 石川県鳳至郡にて誕生。
- 1933年 - 蕨舞洲に師事。
- 1938年 - 前大峰に師事。
- 1941年 - 沈金職人として独立。
- 1977年 - 輪島塗技術保存会会員。
- 1989年 - 日展理事。
- 1991年 - 現代工芸美術家協会常務。
- 1994年 - 輪島塗技術保存会副会長。
- 2002年 - 日本芸術院会員。
- 2017年 - 石川県金沢市にて死去。
賞歴
[編集]- 1942年 - 新文展入選。
- 1965年 - 現代工芸大賞読売新聞社賞。
- 1966年 - 日展特選北斗賞。
- 1970年 - 日展特選北斗賞。
- 1978年 - 日展会員賞。
- 1984年 - 北國文化賞。
- 1988年 - 日本芸術院賞。
- 1988年 - 石川テレビ賞。
- 1991年 - 石川県文化功労賞。
- 1994年 - 中日文化賞。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ “訃報 三谷吾一さん98歳=漆芸家、文化功労者”. 毎日新聞 (2017年7月12日). 2017年7月12日閲覧。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.492
- ^ 漆芸家の三谷吾一氏死去=文化功労者 - 時事ドットコム 2017年7月12日 アーカイブ 2017年10月25日 - ウェイバックマシン
- ^ 『官報』第7085号(平成29年8月21日)7頁 「叙位・叙勲」
- ^ “文化勲章、ノーベル賞2氏や仲代達矢さんら7人”. YOMIURI ONLINE (2015年10月30日). 2015年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- 【会員詳細】日本芸術院 - 三谷を紹介する日本芸術院の公式ウェブサイト
- 【作品詳細】日本芸術院 - 三谷の作品を紹介する日本芸術院の公式ウェブサイト
- 石川新情報書府