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西村省一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西村 省一郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 (1941-04-12) 1941年4月12日
没年月日 (1988-06-17) 1988年6月17日(47歳没)
身長
体重
178 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1961年10月16日
最終出場 1969年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西村 省一郎(にしむら しょういちろう、1941年昭和16年〉4月12日 - 1988年〈昭和63年〉6月17日)は、京都府出身のプロ野球選手投手)。

1961年から1972年までの登録名西村 省三(にしむら しょうぞう)。

来歴・人物

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花園高等学校では2年生の時、エースとして1958年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが山城高に敗れる。翌1959年夏の甲子園府予選は準々決勝で平安高藤野隆司野口元三のバッテリーに抑えられ敗退。卒業後は近畿大学に進学。近畿学生野球リーグでは在学中3季連続優勝。1960年春季リーグで大阪学芸大からノーヒットノーランを達成、1961年春季リーグでは阪大から23奪三振を記録している。

大学を2年生で中退し、1961年南海ホークスへ入団。1年目の最終戦で初登板初先発、東映久保田治と投げ合うが4回1失点で敗戦投手となる。1962年に肩を複雑脱臼するという大けがを負った。その後の3年は登板機会がなかったが、1964年にアメリカ合衆国のメジャーリーグサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下1Aフレズノの教育リーグに村上雅則高橋博士らと野球留学。帰国後の1965年には3試合に先発として起用される。入団7年目となる1967年8月15日にシーズン初先発。西鉄池永正明と投げ合い、白星はつかなかったが8回2/3を無失点に抑える。8月18日には東映の尾崎行雄に投げ勝ち完封勝利、プロ初勝利を初完投初完封で飾った。その後はスライダーを武器に主に中継ぎとして起用される。1970年限りで事実上引退。

引退後、1971年から打撃投手スコアラーに転向し[1]1973年に名前を省一郎に改名。1978年まで打撃投手を務め、その後もスコアラーとして南海ホークスの末期まで裏方でチームを支え続けた。スコアラー在職中の1988年6月17日に心筋梗塞のため死去。47歳没。

エピソード

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打撃投手兼スコアラーに転向後はコーチ補佐的な仕事もこなし、「軍曹」の綽名で親しまれた。水島新司の漫画『あぶさん』では第6巻第9章「ネット裏のエース」というタイトルで裏方時代の活躍が描かれている[2]。そこでは、「省三」は努力しても報われない名前として改名を勧められたが、現役時代はこの名前に固執し、事実結果は残せず、裏方転身後にそれはチームにかかわる大問題だからとして「省一郎」に改名したと説明されている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1961 南海 1 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 17 4.0 4 0 0 -- 0 1 0 0 1 1 2.25 1.00
1965 3 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 48 10.0 13 3 3 -- 2 4 0 0 11 10 9.00 1.60
1967 19 6 1 1 0 2 4 -- -- .333 243 61.0 45 5 20 -- 1 27 0 0 17 13 1.92 1.07
1968 8 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 66 13.0 18 4 9 -- 2 6 0 0 12 11 7.62 2.08
1969 10 1 0 0 0 0 0 -- -- ---- 60 14.0 17 5 2 -- 0 7 1 0 7 7 4.50 1.36
通算:5年 41 11 1 1 0 3 6 -- -- .333 434 102.0 97 17 34 -- 5 45 1 0 48 42 3.71 1.28

記録

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背番号

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  • 18 (1961年 - 1970年)
  • 68 (1971年 - 1978年)

登録名

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  • 西村 省三 (にしむら しょうぞう、1961年 - 1972年)
  • 西村 省一郎 (にしむら しょういちろう、1973年 - 1988年)

脚注

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  1. ^ サンケイ新聞(大阪本社版)、1972年4月14日(金曜日)の10ページに掲載された『南海ナイター』(ラジオ大阪)の全面広告に掲載された選手一覧では、他の投手と同じ扱いで掲載されていたため、事実上の引退後もしばらくは登録だけ現役選手扱いだった可能性がある。
  2. ^ 水島新司の傑作「あぶさん」1975年(昭和50年)-Yahoo!ブログ-

関連項目

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